ありったけ並べて、宝物やさんを開こうよ

ありったけ並べて、宝物やさんを開こうよ

最近の記事

咲き乱れ

近頃 大学の授業において、 ”「導入」で如何に人々の心を掴むか” その重要性を痛感する場面に何度も出くわしている私であるにも関わらず、書き出しはいつもの如く、季節の挨拶から始めよう。これがセオリーになりそうである。 四季感を捉えきることのないまま 季節を見送ることが多くなってしまったことが少し寂しくもありつつ、その分 耳や目から取り入れる色はそれまでよりも豊富になっている気がする。足りない部分を本能的に補おうとしているのだろうか、だとすれば、私は人生を体の底から味わい、

    • 限りなき願い 叶えよう

      〜時候の挨拶〜 「そよめく風の中にも秋の気配が感じられる頃となりました」 まさしく季節はど真ん中を過ぎ、秋へと向かう風が吹き抜ける瞬間が多くなった。 梅雨時期に購入した袖なしの白いワンピースは そろそろお役御免、といったところだろうか。この白を纏い「夏は何処かで海が見られたらいいな」なんて虚しい願いも叶うことを知らず、いつのまにか頭から抜けていた。まあいい、夏はまた来る。 芯を突くような暑さにまたね、と別れを告げ 肌に感じる涼しさを想うこととする。なんだかんだ言っても、

      • あとは任せた、明日の自分!

        何度も何度も「待ち遠しい」を繰り返していたはずの夏。気づけばわたしは季節のど真ん中にいて、こぼれ落ちるセリフはいつのまにか「暑い」に変わっていた。 人生で一度きりの2021夏に、茹だるような暑さ のみが記憶として刻まれてゆくのは御免である。ジャンルを問わず、何かを成し遂げたい…と思いつつ もう8月8日…おっと、見覚えのある数字だ。 どうやらトクベツな日に筆を取ることを無意識のうちにしているようで、今回もまた同じように 自然と心が向かった。出会いの話をするべきところではある

        • 加速後

          お久しぶり、からほとんど間を開けることなく すかさず着手してしまったこの文章。私は一度火が付くと止まらないタイプの人間であるので、この現象は致し方無い。やりたいことは、やりたい時にやる。そのスタンスで今回も。よろしくどうぞ。 最近 SNSを控えていた。おまけに、文章を読むこと・書くことからも遠ざかっていた。これらに対して、特に理由はない。というか、ないつもりだった。 今 まさに試験期間中であるわたしは、かなりの時間机に向かっている。昨日も気づけば、7時間ほとんどノンストッ

          ハロー ハロー!

          何を差し置いてもこの筆を取りたいと思ったので、今回は思いのままに書き上げます。おひさしぶりだね 言葉たち!   一人でレイトショーを見に行くのが好きだ。 ただ一人で何かに没頭する時間を作って、その余韻に浸りながら夜道を歩くのはもっと好きだ。喜びを、苦しみを「独り占め」している感覚を定期的に味わうことで、自分で自分を形成しているように思う。一人の時間 設けなければ身がどこかに刷り込まれていつの間にか喪失してしまう気、とまではいかないが この時間は大切にしたいものである。

          ハロー ハロー!

          日々の橙と今日の君

          これは今日という日のための とっておき____ 彼が生まれし今日という日に寄せた 祝いの文(ふみ)を、精一杯の愛で綴る。内なるときめきを言葉に乗せて、どうか輝きますように。今日は特大号だ! 今年も無事にこの日を迎えられたこと、幸甚です。 26歳の1年間にも 溢れんばかりの幸せを享受した。 山のように積みあがった宝物を見つめるたびに、蘇るかけがえのない眩さが心をぎゅっと締め付ける。両腕を目一杯広げて迎え入れたこれらを 手放さないぞ!と微笑みかけた記憶も 色も 香りも い

          日々の橙と今日の君

          心に住まう 愛の話

          どこで出会い なにに惹かれ なぜ愛し続けるのか。 感情を克明に記すことは至難の業である。自分自身の感情すらも名前の分からず戸惑うことがあるのだから、他人が言葉に起こすなんて尚更だ。 こうして文を綴り続けるのだって、自分の記憶を記録にする一つの手段に過ぎない。写真も同じことだ。刹那のように過ぎ去る今を、少しでも永く残したいと願い、切り取る。 ここまできたことで「永さ」をようやく意識し始めた今、「始まり」にフォーカスを当て、人生の1ページとしてしっかり残しておこうと思った。

          心に住まう 愛の話

          目に映る景色すべて

          感覚、という曖昧さに触れるお話になるので 多少のご愛嬌。そして何より、主観で物事を述べるのが非常に苦手であるので、まるで他人事のような言葉選びになる瞬間があってもご容赦願いたい。 この先の文章は、わたしの中にある、わたしが見てる世界のおはなし。 わたしは、文字に色がついて見えたり、曲に色がついて聴こえたりする。 極限まで皆様に近い範囲で例を挙げよう。 月は青、火は赤、水はピンク、木はオレンジ、金は紫 といった具合である。 単体で見る分には一定の決まりがあるのだが、文章

          目に映る景色すべて

          今の自分から離れれば離れるほどぼんやりとする過去と未来がある一部分だけくっきりと縁取られて見えるのは、自分の中に強烈なインパクトを残しているからであろう。あえて過去・未来を断定しないのには訳があるので後述させてもらうこととして、さっそく本題に入ろう。 各々が生きていく上で、ある程度の主軸となっているものが大なり小なりあるだろう。学業だったり、仕事だったり。なにかしらのスタートを切って、今の自分が走り続けている。 そして気づく。自分より先に走っている人の強さに、後から走り始め

          思案

          noteにするほどではないかな、などと思いつつも自分自身の気持ちの整理のために書き出してみると相当量になってしまったので、それならばとここに清書することとした。あくまでも記録用になるのでさらっと読み流すことをお勧めする。 「同じことをしているようで、どんどん差が広がっているものだ」 これは今日、授業中に先生が発した一言である。 同じ授業を受けてにも関わらず、ノートをとる部分や集中して聞いている部分が人によって異なる。同じ室内にいたとしても、同じ内容を教えていたとしても、

          Spring has come.

          題の通り、有無を言わさず春がやってまいりました。私は例年の如く花粉に悩まされながらも、うららかな日の差す外に飛び出し、桜の写真を撮っています。呟きにも跡を残している通り、ほんのりと期待を寄せたこの春を、形として手元に置いておきたいのです。さあ、2021の春はどういった色で各々の人生に華を添えてくれるでしょうか。 昨日ベランダで洗濯を干していると、懸命に手を振る男の子が見えました。振る相手の方へと目をやると、彼の家族らしき人が。直感的に「ああ、ここへ越してきて、今日から一人暮

          Spring has come.

          こじつけ?いいえ、必然的な交わり

          3/17 わたしが筆を取っている(打ち込んでいる)この日付は皮肉にも昨年、アジアツアーの日本日程開催中止が発表された日だった。 実に長い道のりの中で込み上げた感情は、各々の処理のうちにある。どんな顛末も愛することができるのは結局のところ自分自身。器用に乗りこなしてきた波の思い出たちを振り返ってもそうじゃなくても、今ここに自分がいるという奇跡に花丸を。辛くなったらいいことだけを思い出して。 これはあくまでもつぶやき。 本人たちが一番〇〇だろうから、は憶測に過ぎないし、憶

          こじつけ?いいえ、必然的な交わり

          今を生きるあなたと

          今回取り上げる話題は、「生の短さについて」というセネカ著の本である。 タイトルに惹かれ手に取った一冊は、想像の世界に留まっていたあらゆる事象を言語化し、また新たな世界への扉を開く鍵になり得る材料であった。 コロナウイルスの影響もあり「なにをしているんだ、わたしは」と思う時間が圧倒的に脳内グラフの割合を占める今、動き出そうと喝を入れようにも入れられず日々を悶々と過ごしている人がこの世の大半を占めると私自身踏んでいる。 ましてや大学生の私は「せっかくの4年間が」と学生の身分

          今を生きるあなたと