共感病にとりつかれた友人の話
共感病とは何か? それは他人と共感していないと落ち着かない、という自分喪失の病のことである。
僕の友人にこの病にとりつかれた人がいて、周囲が大変苦慮している。
この病気にとりつかれると、誰かれ構わず共感できる相手を探して話しかけることになり、その目的が「相手と共感できること」という一点に集約されるため、話しかけられた相手は大変うっとうしい。
問題なのは、本人が「共感第一」の考えにとりつかれていることに気づいていないことだ。
これはまことに恐ろしい病気だと言わねばならない。
自分というものの把握には「鏡」というものの助けを借りなくてはならない、というのは精神分析学の定説である。おそらく、共感病にとりつかれた人というのは、自分を映し出せる鏡を探して、日常的に生きている人なのだろうと思う。
僕なりに出来ることを探して、この友人が生きていく支えのようなことができればと思うのだが、案外難しいかもしれない。
とはいえ、今ふと気づいたのは、僕も、その友人に「共感」してしまっているという現実がある。
「共感病」なる病気のレッテルを貼ることで彼を「共感可能」なものとしてしまっているのである。
「共感病」の病根は深い。