音楽を粗末にしている気がする
ちょっと前に某アーティストがTwitterで
とツイートをして少し話題になり、これに対して「時代遅れだ」「CD売れるようにしろよ」「この令和の時代に何を、、」みたいな反応を結構多く見かけました。
ツイートの主旨としては、今のサブスクモデルの収益構造がCDの売上が主体になっていた時代に比べてアーティストに十分に還元されてない現状を伝えたかったとのことです。
それじゃ逆に、今のメディアが音楽を聴く側の私たちの行動や音楽体験をどのように変化させているのか?私たちが考えるべきことは何か?
そういった部分を急に整理してみたくなりました。
そして、サブスクモデルをあえて懐疑的に見ることで、昔大好きだったことや大切にしていたことを思い出してノスタルジーに浸ろう〜って感じです。
たまに誰かが言ってる「ガラケーの時代は既読なんてシステムはなかったし、新着メール問い合わせしてた頃がよかった」みたいなノリです。
*アーティストとストリーミングサービスの関係に興味がある方は最近日本でも配信が開始されたNetflixの「The Playlist」おすすめです。
Spotify創業の話を描いた作品ですが、アーティスト側の感情や葛藤なども表現されてるので是非見てください。これを見たら初めに紹介したツイートにも少し同情できる部分があるかもしれません。
選択のパラドックス
皆さんは音楽を選んでますか?
音楽に限らず、ストリーミングサービスの台頭で消費するコンテンツの選択肢が果てしなく増えました。最近は配信スピードも早いし選び放題です。
しかしそれが必ずしもいい効果をもたらすわけではないらしいです。それが「選択のパラドックス」というものです。
選択肢が増えすぎると上記のような効果があるみたいです。
そしてこれは各ストリーミングサービスにおいてもかなりの割合で作用していると考えられています。皆さんはNetflixやAmazon Prime videoのマイリストに、結局見ないであろう作品がどんどん溜まっていく経験したことないですか?
Netflixでは、初めの90秒でコンテンツを選んで再生を始めなければ、ほとんどのユーザーは画面から離脱してしまうみたいです。選択の放棄です。
そして企業はユーザーに離脱されないように、色々なデータを元にそれぞれのユーザーに刺さるような音楽や映画といったコンテンツを提供するわけです。
聴いてるのか聴かされてるのか?
前述したように、ほとんどのサービスがアルゴリズムの上で動いており、パーソナライズされた状態で私たちに与えられています。
そしてこのパーソナライズが進めば進むほど、私たちの消費行動はどんどん受動的(passive)になっていくと言われています。
実際にYoutubeの動画再生の70%以上はレコメンドからの再生であり、コンテンツが自分の元に届くのを待っているということになります。
音楽サービスに関してもこの傾向は顕著に現れてると思います。
好きな曲は?と質問されて、頭では曲が流れているけど曲名が出てこなかったり、シャッフル再生中、15秒ぐらいで次の曲へのスキップを繰り返したり
与えられたものを消費するだけの行動が増え、極端に言えばユーザーはスクロールかスワイプするだけみたいな感じです。(それは言い過ぎかも)
また、Twitterで「digが捗るSpotifyの拡張機能!!」みたいな宣伝をしてる人をたまに見かけます。
「プレイリストを適当に作成したらAIが同じ傾向の曲を自動的に追加してくれる」みたいな拡張は確かにあります。
でもそんなことまでAIに身を委ねてしまっていいのか、受動的に広く浅く知ることが目的なのか?と考えてしまいます。(とりあえず滝のように曲を浴びて、そこから神曲を見つけたい人にとっては最高のツールだと思う)
「Crate digging」は本来、普通に曲を探すよりもはるかに探究心が強く、そして能動的な行動のはず。
曲を聴くだけじゃなく、その曲に付属する情報や背景を深い部分まで探し求めにいく高揚感や喜びが薄れていくんじゃないだろうか…
まぁ言葉の定義は時代によって変化するし、この話題は必ず宗教戦争を起こすのでこの辺でやめておきます。
音楽体験の本質と所有することの変化
サブスクになってからの1番の変化は、所有のあり方だと思います。
デジタルにおいては端末の中に同じレイアウトのサムネイルがただ並んでいるだけで、ユーザーができることはプレイリストを作ることぐらい。
それなのにアップデートでそのUIはある日突然変更されたりする。
物理媒体では全く異なります。
このアルバムはCDで持ってるが、これはレコード。CDとかは持ってないけどライブのDVDは持ってる、みたいな感じ。これは封開けてないけど飾ってるだけ、みたいなこともあるかもしれない。
それがアイデンティティであり、一種の自己表現でもあるわけです。
そして所有の形だけではない。
ライブ終わりの物販で買ったCD、 初めて先輩から借りたレコード、初めてiTunesに入れたアルバム。全てに手に入れるまでのストーリーがあってそれを含めての音楽体験であるということです。
個人的にはShazamがそのストーリーを作ってくれていました。
Shazamで検索した曲名をメモってYoutubeで検索したり、TSUTAYAに駆け込んで少ないお小遣いでレンタルする。そしてそれをクッソ重いwindowsPCに取り込んでiTunesに落とすわけです。
この段階でまだ音楽を聴いてないです。でも音楽を聴くまでの過程がすごく大好きだったし、自分にとってはそれが音楽体験の本質なんだと思います。
この音楽と自分との関係性みたいなものが変化していく中で、少し寂しさや虚しさを覚えるのかなと考えたりします。
考えるべきこと
消費体験が変化する中で私たちが考えるべきことは、今までの音楽体験とストリーミングサービスは似て非なるものだと理解することだと思います。
能動的に音楽を求めて情報にアクセスしていたのに対し、今やApple musicやSpotifyといった巨大なプラットフォーマーが音楽を見つける前に仲介してくれる(してくる)わけです。
仲介という作業で便利になった反面、一部の人にとっては検索のノイズになったり、いい体験が得られないことが起きてしまうわけです。
だからこそ理解しておく。それだけでもいいはず。
最後に
最後に大好きなアルバムをここに残して終わりにしたいと思います。
Dua Lipaの『Future Nostalgia』です。このバック・トゥ・ザ・フューチャーみたいなタイトルがたまらなく好きです。笑
彼女が昔好きだった音楽のサウンドとムードを活用しながら無限の可能性を秘めた未来を表現しているアルバムです。今回の記事にもピッタリ。
ぜひ聴いてみてください。