父親代り
幼少期、父親との思い出が殆どない。
一緒にキャッチボールをした記憶もなければ、悪さをして泣くほど怒られたような記憶もない。
と言うのも、父は単身赴任で色んな街を転々としてた。
たまの休みに「今日は父ちゃんのいる〇〇に遊びに行こう!」と県外まで会いに行ったり、盆や正月の長期休みには帰って来てたりしたけど、普段は父のいない暮らしが当たり前だった。
そんな父が長期休みで帰って来た時に必ず連れてってくれたのが本屋だった。
僕は本屋がとても好きだ。
幼少期の数少ない父親との思い出の大半が本屋だからなのか、そもそも僕が本屋が好きだから毎回
本屋に連れてってくれたのかは分からない。
いや、父親の部屋にある数え切れない本を見たら後者ではないか。笑
沢山の絵本、漫画、図鑑、色んな本を買って貰ったけど、中でも父が熱心に薦めてきたのがドラゴンボールだった。
熱烈な鳥山明ファンだったのか、たまにしか合わない息子と共通の話題にするのに丁度良い作品だったのか、その辺は全く分からないが、自分の中にある数少ない幼少期の父親との記憶は、ほとんどが本屋かドラゴンボールの話をしてる姿か、だ。
このセリフはきっとこういう想いから出たに違いない
このキャラは鳥山先生的にこういう想いで誕生したらしい
漫画を読むだけでは分からないことを、なぜか父は沢山知ってて、たまに会えばそんな話を本屋に行く道中の車ん中で沢山してくれた。
そういえば車内は大体ジャズから石原裕次郎が流れてたな。
父と会わない期間は、父が買ってくれたドラゴンボールを何回も何回も読み返してた。
「そういやこの表現はこうだってこないだ父さんが言ってたな」
そんな風に思いながら読み進めていくうちに、自分の中でドラゴンボール、鳥山明先生に父の姿を重ねていくようになった。
思えば沢山のことを教えて貰った。
弱さを認め寄り添うことで助けられる人がいるってことをヤジロベイから、
敵を倒すだけじゃない、大事なモノを守ることがヒーローなんだってことをミスターサタンから、
自分の欲求に従うことで誰かを傷付けてしまう、それでも過ちを認めることで広がる世界があるってことを魔神ブウから、
女の子のおっぱいを触りたいって気持ちは正常だし、けどそれは声を大にして言うのは恥ずべきことなんだってことを亀仙人から、
女の子の大事な場所は気軽に触っちゃいけないし、触ったなら触ったでちゃんと責任を取らないといけないってことをチチと悟空から、
思い出そうとしないと思い出せないことの方が殆どだけど、そして物語の軸とは関係ないことの方が殆どだけど、確かにその後の人格を形成するには充分だ。
親以上に親で、先生以上に先生。
好きなシーンは沢山あるけど、一つ挙げるならばダントツでこれ。
生死をかけた一戦に着ていく服を悟空じゃなく、ピッコロとお揃いを選ぶシーン。
なぜか幼少期に父と過ごせなかった自分と重ねてしまう。
大人になってドラゴンボールも鳥山明作品に触れる機会も極端に減ったけど、改めて思えば鳥山明先生が作り上げたと言っても過言じゃない世界を僕たちは生きていた。
錚々たる顔ぶれの追悼コメントを読んでも分かる。
会ったこともなければ、現在進行形で最新作を追ってたわけでもないのに、なんだか心にぽっかり穴が開いたような気分。
日本中、いや世界中にこんな人が沢山いるんだろうなー。
本当にありがとうございました。
そしてご冥福をお祈りします。