No.21 理詰めだけじゃ限界です 社会正義を考えるnote 2020/10/14

正義、正義と考えると

よくわからなくなるときも

でてきます


今日はそんな感じです

ちょっと、思うままにの記事に

今回はしようと思います


正義、正義と考えていくと

理詰めになっていくので

思考が空白のようになり

働かなくなる時があります


正義って

結局、考えるだけのものでは

ないんだと思います

こういう時は


感覚が伴わないと

正義ってわからないと思います

なにも正義だけじゃなくて

友人関係

目標

など現実世界に生きるので

空文句じゃあダメなんですよね

やっぱり


哲学や思想を

オーバーなこと

現実離れしたこと

哲学や思想を考えていると

話すに値しない奴

などなど

正義も同じように扱われることはしばしば

こちらからすると

人生に価値を置くのなら

正義、哲学、思想などは

これ以上ないくらい豊富に教えにあずかることができる

ものだと思うのです


でも、やっぱり理詰めはよくない

感情、感覚など

感性と理性がともなっていないと

聞く耳は持たれないですよね

虐待、監禁など世界、日本の

ニュースなどを見ると多くの人は

人権、正義、博愛などを

概念として実感しやすいですよね

やっぱり、そういう意味では

哲学、正義も実践ベースで有用じゃないと

世論の支持を得ることはできませんね

どうしてもここで筆者はこれにつながります

理論と実践の結合

カント哲学もそうですね

理性

実践

判断力

この3つがあり、理論と実践を結合するのが判断力

この論理構造は

社会福祉にも大きな影響を与えています

海野幸徳、岡村重夫、嶋田啓一郎いづれも

この論理構造の上に社会福祉を考えている

でも、理詰めじゃダメなんです

実感できるものがあってこそ

正義はつまり社会福祉は幸福を伴う

つらつらと述べましたが

今日は

理詰めの限界を思ったりしています

実存、幸福、社会福祉…やっぱり究明は続くなあ

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