文系博士課程進学が、私にもたらしてくれたこと
今回は、文系で博士課程に進学したことが、私に何をもたらしてくれたか、考えてみたいと思う。進学を迷っている方にとって、何かの参考になれば、幸いである。
自分にとって一番苦手なことと向き合う経験になった
自分にとって一番良かったのは、自分が一番苦手なことと向き合う経験になったことである。それは何かというと、先が見えない中で取り組み続けることである。誰でもそうかもしれないが、私にとって、先が見えない状況で、うまくいくのか、いかないのかも全くわからない状況で、何かに取り組むことは、ものすごくストレスである。やはりある程度見通しが立つ方が、過ごしやすいと感じる。しかし、博士課程での研究は、まさに最後まで何も見えなかったのである。データを集めてもうまく論文になるかわからない、分析、執筆していても、ちゃんと論文になるのかわからないなど、先が見えないことばかりであった。卒論、修論は、大したことないと最終的には思えたが、博論に関しては、全くそんな風に思えなかった。
博士課程において、自分の苦手と向き合うことができたのは、貴重な経験だった。VUCAの時代と言われるけれど、まさに、それを体感できたし、今後こんなに先が見えない状況の中で何か大きなことに取り組む機会はなかなかないのではないかと思う。
うまくいかない数々の経験をすることができた
1点目と重なるかもしれないが、博士課程では、とにかくうまくいかない経験をした。今後研究を続けたとしても、もう恐れることはないのではというぐらいに、全てを経験できた。別記事にまとめたように、学振は面接で落ちたし、出せばほぼ通るような論文が不採択であったり、公募の最終面接で落とされたりなどなど。正直、博士課程までは、自分に自信があったわけではないが、こういう、うまくいかない経験は、ほとんどなかった。大体のことがなんとなくうまく行っていた。だからこそ、こういう経験ができたのは貴重である。
そして、このうまくいかない経験を通して、私は何に気づいたか。うまくいかないことがあっても、それで終わりではない、可能性は他にもあるということである。確かに、それぞれ結果に繋がっていれば、それはそれでハッピーだっただろう。でも、この結果だったから得られたこともある。学振のかわりに、もっと待遇の良い常勤に仕事が得られたし、論文はreviseして、もっと良いジャーナルに掲載できたし、仕事の可能性も、他にもたくさんある。自分が拘っていたことが、全てではないと、気がつくきっかけになった。
博士課程に入るまでの自分だったら、落ち込んでいたと思うが、今はもう落ち込まない。新しい可能性に気がつけるようになったし、新しい方向に進むことが、私には必要なのだと考えることができるようになったからである。うまくいかなかったら、切り替えて、他の可能性を信じていけば良い、ただそれだけである。
以上が、私が博士課程に進学して得られたことである。もちろん、他にも研究に取り組んだからこそ見えてきたことはあるが、この2つを経験できたことが、非常に大きかったと思う。博士課程の生活は、基本的に大変だし、困難もある。わざわざお金と時間をかけて、研究することを選ぶのだから。ただ、得られることもたくさんあるし、それを自分の気づきや糧にしていくことができれば、自分を豊かにすることもできる。進学すると決めたら、ぜひその可能性を信じて、楽しんでほしい。