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運気の流れの「余韻」

今、定期的に受講している算命学の講座では、
もうすぐ立春・・という、干支暦的な新年を迎えることもあり、
「立春からの今年の運気は・・?」というテーマのお話が、
続いています。

今日も、
世の中のムードとしての「世相的な運気」と、
一人一人の命式から見る「個別の運気」について、
それぞれ、レクチャーがありました。

個別の運気に関しては、
自分のだけじゃなく、他の受講生の運気の流れを、
一緒に見て・聞けるわけですが、
これがもうホント、すごい勉強になる。ありがたい。

算命学でみる運気の流れは、
いいとか悪いとかじゃなく「現象」を読むもの。

それゆえに、
それをどう活かすか?は、
本人の現状や環境によって、
一人一人、違ってきます。

なので、本人のお話も、合わせて聞いていると、
もうそれは、どう生きるか?生き方の探求を
見せていただくようなもので、実に興味深いのです。


そんな風にして、
ある方の運気の流れを、見ていたところ、
今年、物事の経過・プロセスの位置(中央)に、
「広がりが出る」事を示す位相(半会)が出ていました。

そして、先生が、この現象を、
「一昨年の運気の流れの余韻」
と、表現されたのです。

一昨年の始まりの位置の勢いが、
翌年の空白を経て、
今年、経過の位置に「余韻」となって、
出ているのだと。

ああ、運気は、そういう流れとして
つながってるものでもあるのか・・と、
目から鱗でしたし、
「運気の流れの余韻」という表現に、
しびれたのでした・笑。


余韻。


それは、ワタシの中では、
サーフィンをしてる時にも、似たような覚えがあって。


波は「セット」でやってくるので、
やってくる時は、続けてやってくることが多いもの。
その時は、とにかくそれに乗っていくことに
夢中になっているわけですが、

そのセットが終わると、
ふ・・と、凪のような時間が訪れる。

凪の時は、何もしていないのではなく、
前の波を味わっているというか、

うまく乗れたとしても、
失敗して波に巻かれたとしても、
その昂まりをリセットしたりしてる時間。

その静かな凪の中で、
気持ちと身体を休めながらも、

前のセットの「余韻」は、
確かに、身体の中に残っていて、
それが、
次の展開につながっていく。

その繰り返し。


人生に巡ってくる運気の余韻は、
いつも必ずしも、いいものばかりではないかもしれないけど、

その余韻を
どう活かすか・・は、
結局、自分次第ということになります。


歳を重ねてきたと言うことは、
余韻を身体に刻んできたと言う事でもありますし、
その経験を無駄にしないよう・笑、

共にいる人たちと、分かち合いながら、
残りの人生の波乗りを楽しんでいきたいものです。



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