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#10 わたしは記憶がない

 スマホのストレージがいっぱいになったので、いらない写真を整理していたら、数年前の旅行の写真が大量に出てきた。
 鳴門の渦潮、沖縄の青い海、北海道の自然。どれもその場で「めちゃくちゃきれい!」と思って撮ったはずなのに、今のわたしにとっては「あー、行ったなこれ」くらいの温度感しかない。

 その場では、必死に「今」を記録していたはずなのに、見返さないということは、実質「無かったこと」と同じではないか? もしスマホの中に写真がなかったら、わたしはこの景色を忘れていたんじゃないか? そんなことを考え始めると、「記録すること」の意味がわからなくなってくる。

 そもそも、わたしがこの写真を撮ったとき、「未来の自分が見返すこと」なんて考えていただろうか。どちらかというと「SNSに載せる」「同行者とシェアする」「なんとなく撮っておく」、そんな理由で撮っていたように思う。結局、ほとんどの写真は「撮ること」が目的になっていて、「後で見ること」なんて誰も考えていなかったのではないか。

 でも、写真を削除しようとすると、なぜか手が止まる。「別にもう見返さないしいいか」と思いながらも、「いや、でもせっかく撮ったし」と思ってしまう。まるで、押入れの奥にしまった昔のアルバムを捨てられないのと同じように。

 結局、わたしは何枚かの写真を削除し、何枚かの写真を残し、「またストレージがいっぱいになったら考えよう」と思いながら作業を終えた。きっとまた、数年後のわたしが、同じようにスマホの写真フォルダを開いて、「あー、行ったなこれ」と思うのだろう。

 それでいいのかもしれない。わたしは「思い出を忘れたくない」のではなく、「思い出を忘れたことを、思い出したい」のだから。

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