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ドーパミンデトックスに失敗してSNSが楽しくなった

ドーパミンデトックスに失敗した!
1週間SNSを禁止するつもりが、ものの3日目にしてYouTubeを開いてしまったのだ。しかし普段観ていたそれよりも新鮮に見えた。そこにいつしか忘れてしまったSNSの有り難みを見出した。ドーパミンデトックスはSNSの素晴らしさを再認識させる契機となった。矛盾しているかのように思えるが、これは断食を通して水が自由に飲める幸福を思い知るラマダンに相似する。


ドーパミンデトックスとは

まず皆さんはドーパミンデトックスをご存知だろうか。
一定期間ゲームやSNS、お酒などのドーパミンを発生させるものを控えることである。これにより、集中力向上などの効果が期待されるというものだ。

依存症を断つため

筆者は1日平均5時間、1週間に40時間程度YouTubeを視聴している。一般的な依存状態である。それでいて、日々のやるべきタスクや挑戦してみたい趣味を抱えている。目前の快楽に囚われて、成すべきことに手が出ない状況が続いていた。なんと情けないことだろうか。

そんな中で、先述したドーパミンデトックスなる自己啓発に出会った。TikTokやYoutubeなどのSNSではトレンドだったらしい。
動画の中でアングロサクソンのあんちゃんがSNSを悪しざまにアクティブになったと宣っている。やるしかない。

現在の依存状態を打破するブレークスルーとしてドーパミンデトックスはうってつけである。行わない手はない。
こうして筆者はドーパミンデトックスを始めた次第である。

禁欲生活

これから行うドーパミンデトックスは厳しいものが予想される。以下にルールを示す

  • Youtubeを観ない

  • イヤホンで音楽を聴かない

  • 1週間継続する

社会生活でスマートフォン・パソコンを縛ることは出来ないため、Youtubeと音楽を聴くことだけ制限することにした。上手くすれば1週間で40時間以上の可処分時間が手に入る。これだけの時間を生産的な活動に当てれば、何者にでもなれる。心が踊った。

初日は簡単だった。早くも効果があらわれた。時間の進みが遅いのだ。HUNTER×HUNTERに登場するネテロ会長が音を置き去りにした場面を想起した。本当に日が暮れない。これから暇になることを見越して図書館に本を借りてきた。これだけの時間、SNSに費やしていたのかと驚いた。その日は早く寝れた。

2日目は借りてきた本を読んで過ごした。筆者は普段から活字を読むことが少ない。そのため、新書を1冊読むと、どっと疲れる。せっかく借りてきたことだし気合を入れて読破した。

モーリタニアでサバクトビバッタを研究した日本人の話であり、実に面白かった。バッタとイナゴは相変異の有無で区別され、日本のオンブバッタとショウリョウバッタは厳密にはイナゴの仲間である、という明日にでも話したくなる雑学が印象に残っている。

1冊読み終えると、今日は文化的な生活を送ったと自分に言い聞かせた。

3日目になった。朝は早く、6時頃には覚醒しているがどうせ起きたところで、したいことなどない。するべきことは山のようにあるが、それは急を急ぐものでもない。二度寝することにした。休日の昼下がりは何も考えずにYoutubeでも観たい。タダで音楽でも聴きたい。もう耐えられん。覚悟を決めてブラウザを開く。Youtubeへのショートカットはこのデトックス週間を始めるにあたって消していた。URLに半角yを入力するだけで予測変換可能で、容易くアクセスできた。

サムネイルとタイトルを眺めているだけでも楽しかった。音楽を聴こうと思っていたが、しばらく画面をスクロールしていた。実に新鮮な体験だった。幼少期に初めてニコニコ動画を訪れた、あの体験とよく似ていた。小学校から帰るとすぐに父親の書斎スペースに行き、パソコンを起動し、"グルメレース"と検索して、表示される動画群に目を輝かせていた。
しかし、今はどうだろうか。好きなコンテンツを観るためにSNSに赴いているだろうか。少なくとも筆者は、惰性でSNSを開きゾーニングされたコンテンツを死んだ目で眺めている。口だけを開けて雨と埃を食っている。

ゾーニングされたコンテンツが悪いわけではない。それが雨と埃に見えたのなら、恐らく過食により舌が肥え過ぎたのだろう。SNSのアルゴリズムは止め処なく新しいコンテンツを提示する。その1つ1つの輝きを感じ取れなくなるのも仕方がない。よく考えてみればこの状況は実に贅沢である。

このドーパミンデトックスを通じて、SNSを観れることの有り難みに気付かされた。さらに、普段以上の幸福さえ感じている。思わぬ副作用であった。

たった2日のドーパミンデトックスで幸せのハードルが随分下がった。こう書くと、よくある自己啓発系と大差無いが、これにSNSが更に楽しくなったと付け加えると表情が変わる。本来、これらの行為は能動的な行動を誘発し、人生を変えていくためのものである。しかし筆者は、ドーパミンデトックスを通して、これまでの行動を改めることなく、むしろ有り難みを感じることで肯定しているのだ。

2日目に読んだ新書のあとがきにこのようなことが書いてある。

モーリタニアでは、年に一カ月間、ラマダンなる断食を行っている。
…(中略)… 自分も彼らに倣ってたった3日間ではあるが、ラマダンをしてみた。すると、断食中はたしかにつらいが、そこから解放されたとき、水が自由に飲めることがこんなにも幸せなことだったのかと思い知らされた。明らかに幸せのハードルが下がっており、ほんの些細なことにでも幸せを感じる体質になっていた。

前野ウルド浩太郎.バッタを倒しにアフリカへ(p.373-374).光文社

ドーパミンデトックスを通じて、SNSの有り難みを知り、幸福を感じた私に似ていた。私が行っていたのは低レベルのラマダンなのだ。

ラマダンとしてのドーパミンデトックス

長期間のドーパミンデトックスには失敗したが、思わぬ副産物が得られた。数日間Youtubeを観ないだけで、Youtubeを観ることが楽しくなるというものだ。
これは本来のドーパミンデトックスの意義とは大きく異なっている。SNSを制限することで生産性を上げるはずが、そのSNSが楽しいものだと再認識させ、現状の幸せを底上げするという正反対のことをしている。
断食により水が自由に飲めることの幸福を思い知る、ラマダンに似ている。
昨今の楽しいことを捨て、生産性を上げていくドーパミンデトックスだけでなく、悪習として行っている楽しいことを更に楽しくするラマダンとしてのドーパミンデトックスも存在していいのではないだろうか。

蛇足

本記事ではドーパミンデトックス(Dopamine Detox)という名を用いてきたがドーパミンファスティング(Dopamine Fasting)と呼ぶこともある。ファスティングとは断食の意である。ラマダンとしてのドーパミンデトックスは、ドーパミンファスティングの範疇かもしれない。


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