朝餐 IPF患者

 昨年の中ごろから8時前の起床は皆無です。そして晩秋頃からは思い切ってベッドを出るのが8時半ごろです。IPFのほかに、若い頃からの高血圧体質のためか夜間頻尿(多尿)で睡眠が足りなく思います。新聞配達さんのバイク音に前後してのトイレ行が毎晩で、他に1~2回は起きてしまいます。降圧剤とは別に腎臓血流も良くする薬剤も、何年も前から隣市のK総合病院の腎臓内科で処方されていますから、おそらく利尿作用が強いのでしょう。私には睡眠の質を向上と悠長なことは許されないでしょうから、せめて朝のベッドで時を浪費して身体を楽にします。
 なんとか起き上がってとりあえずリビングにたどり着きます。前にも書いたとおり、洗面所を横目に過ぎます。着替えと歩行とが大儀な身体で、ソファに延びてTVをチョイと観て、落ち着いたら洗面所で歯磨きです。足が向けば玄関の新聞を採ります。これだけで9時を回ります。ようやく娘が準備してくれた朝飯を摂ります。IHでみそ汁の再加熱とジャーから茶碗に飯を入れるのが大儀な作業なのです。ヤレヤレ 

 食欲は無いわけではありませんが、普通に喉を通過していきます。主治医によればホルモンの働きで食欲が とのことです。もっとも腹部に膨満感があり、呑みこみがうまくありません。食事動作で疲れ感が増す日もあるようで、最後の一口をお茶漬けで流し込むこともあります。あ、想い出しました。昔から私の食の遅いことで亡き妻や娘に指摘されたことがあります。アンタ(おとおさん)は、咀嚼を続けては嚥下の為に中断する、だから遅いのです と。彼女らは咀嚼しながらその一部?をチャンと嚥下できるようです。ボンヤリとノンビリと育てられたのでしょう。それで朝食を終え、新聞片手にサーバーに淹れてくれたコーヒーを(温め直し!)すすり始めると10時をすぎます~これが私の遅い朝餐です

(休題)
 遅い朝食から、露西亜貴族を思わせる朝餐という単語が脳内におきました。好きな作家のひとり、梶井基次郎は冬の日で堯に「ロシアの貴族のように(午後二時頃の朝餐)が生活の習慣になっていた」と言わせます。ただ陽も傾き始める2時となると、さすがの私も朝餐でなく昼餐に近いです。多くの文学青年のように結核を宿痾とした梶井。「檸檬」が有名すぎるよう思いますが、私は冬の日の一択です。短い文章の中に満杯の悩みを詰め込んでくれたように採ります。電車の中の同病の少女、血痰のことなど正確な表現(と思うのですが)は理系の文学青年だったからでしょうか=第三高へ進む前に大阪工業高校の受験に失敗した と年表にあるのが余計に親しみを感じるのでしょう。ともかく、同じ胸の病からして一段と近く思います。
 脱線すると、好きなつげ義春は崖を巧く描くのですが、基次郎を読んでるのかなぁ と・・・なにかで そうであると読んだ請け売りでもあります。さらに、朝食後にTVの録画チェックでHDを早送り消化したところ、「なんでも鑑定団」で太宰治の4枚のハガキが高額とされた番組にあたりました。熱心読者S君に「明るい気持ちで毎日を送らしなさるように。強く生きとおすように」おおよそ破天荒がうりの太宰からとは思えない筆でした。1950年に愛弟子の小山清が”風貌”にS君を紹介しておるのが高額の証拠とされ、研究にも大切との評価でした。よかったです

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