ケニアでの国際医療保健実習について
ケニア医療実習を通じて得た学び
2024年6月末、私は海外医学部を卒業し、8月から米国の公衆衛生大学院に進学予定でした。その合間の長期休暇を活用し、アフリカにおける医療および公衆衛生の現状を学ぶことを目的に、アフリカ児童教育基金(ACEF)が主催する医療インターンシップに参加しました。当初、ケニア国内では増税反対を発端とする全国的なデモが頻発しており、治安に対する懸念がありました。しかし、実習地であるエンブはナイロビから車で約3時間離れた地域に位置し、ACEFの長年の活動が地元の信頼を得ていたことから、セキュリティ面も万全で、貴重な学びの機会を得ることができました。
様々な医療現場での経験
私立病院での実習
エンブにある私立の小児総合病院での一週間の実習は、特に印象的なものでした。この病院は「地域で最も優れた病院」として高く評価されており、日本の団体によって設立された後、現在は地元ケニア人の手によって持続可能な運営が行われています。小児病院でありながら、男女別の成人病棟も併設され、幅広い患者層に対応しています。
病棟での医療チームは、小児科医や総合診療医それぞれ一名と少数の看護師で構成され、効率的に診療を行っていました。実習中の回診では、「君が主治医だとしたら、この患者をどうマネジメントするか」と問いかけられることで、主体的に治療に参加する機会をいただきました。難しい症例にも挑戦する形での指導を受け、その過程で「次に来るときは医師として、君が外国で学んだことを教える立場で戻ってきてほしい」と励ましの言葉をかけられたことが、特に心に残っています。
実習では、手術見学、外来診療、がん治療、家族計画、ワクチン接種など、多岐にわたる医療の現場を体験しました。職員の皆さんがすれ違いざまに笑顔で挨拶してくれるなど、温かく迎え入れてくれる雰囲気の中、非常に充実した学びを得ることができました。
公立病院と農村クリニックの課題
ナンブとチュカにある公立病院では、私立病院とは異なる課題を目の当たりにしました。公立病院は治療費が安いため、多くの患者が訪れますが、医療資源の不足が顕著でした。例えば、患者が外来を待つために病院の敷地内に横たわる様子や、1つのベッドを複数の患者が共有している光景は、地域医療の現状を象徴していました。帝王切開の術後の感染で入院している患者さんに対して、担当医が回診に来て、簡単な問診を終えると、「祈りましょう」と手を合わせ、黙祷をする場面に立ち合い、私にとって初めて医療現場での文化・宗教的な違いを感じた経験でした。
農村部のマキマのクリニックでは、診断設備が整っておらず、症状の軽減や他の施設への紹介が主な業務となっていました。あるお母さんは、赤ちゃんを抱きかかえ、小さい子どもの手を引きながら、徒歩で1時間ほどかけて来院されており、医療へのアクセスの困難さを痛感しました。
隣接する孤児院では、子どもたちと髪を結ってもらったり、一緒に写真を撮ったり、色々なお話したり、歌やダンスを通して、楽しく交流させていただきました。ケニアでは、近年国策として、孤児の子どもたちを親戚や里親と一緒に暮らせるような環境を整えることを推奨しており、新たな生活を始めた子どもたちも、週末に孤児院に来るなど居場所としての機能も果たしているとのことです。
HIV訪問診療
エナで行われたHIV訪問診療では、HIV感染が患者さんやその家族に与える影響だけでなく、地域社会や文化の背景について深く考えさせられる時間を過ごしました。訪問先での患者さんと出会い、それぞれの人生に触れることで、HIV治療の現実や課題を実感しました。
最初に訪問したのは、生まれつき脳性麻痺を患う女の子でした。彼女は薄暗い部屋の中で車いすに座り、一人で過ごしていました。ケニアでは、障害を持つ人々への偏見や差別がまだ根強く残っており、積極的に外に出たり、人前に出ることが難しい背景があります。彼女のお母さんは農業で家計を支えていましたが、干ばつが続き、収入も減って食べ物にも困るほどの状況に追い込まれていました。そんな中、ある男性が経済的な支援を申し出ましたが、代償として身体的な関係を求めたそうです。その男性はHIV陽性で、お母さんも感染してしまい、さらに妊娠が発覚すると、男性は去ってしまいました。同行してくれたソーシャルワーカーの方いわく、このようなケースは決して珍しくないのだと言います。
次に訪れたのは、寝たきりで体が著しく痩せ細ったおじいさんでした。この患者さんは治療を受けることを拒み、彼の介護を行っていた両親に先立たれ、時々訪れていた友人も、やがて来なくなってしまい、地域社会とも繋がりも断たれてしまっていました。訪問診療で付き合いの長いソーシャルワーカーの方は、「彼はHIV陽性についてはオープンだけれど、治療や行動変容への拒否が強くて、どんなに説得しても、誰の話も聞く耳を持たなかった。長く寝たきりだけれど、元は身体的に動けなかったわけではなく、心から動けなくなっていってしまったの。今では気にかけて面倒をみてくれる人もほとんどいなくなってしまった」と心配そうにしていました。
一方、最後に訪問した患者さんは、家族の温かい支えを受けながら、治療にも前向きに取り組んでいる方でした。家族の存在が治療への意欲を高めるだけでなく、精神的な安心感をもたらしている様子が印象的でした。この患者さんの姿を見て、家族や地域の支えがいかに患者さんの回復に重要であるかを改めて感じました。
患者さんたちとの出会いを通じて、HIV治療がただ薬を提供するだけでは解決しない問題であることを強く実感しました。今ではHIV検査や治療が無料で提供され、服薬も1日1錠で済むようになりましたが、偏見、心理的な障壁、社会経済的構造な壁など、患者さんの治療行動に影響を与えていました。また、家族や地域のサポートが治療の成功に大きな役割を果たすことも学びました。HIV治療をさらに普及させるためには、治療への理解を広げる教育活動や、患者さんを取り巻く偏見を減らすための取り組みが必要です。訪問診療を通じて、患者さんそれぞれの背景に寄り添い、丁寧な支援を続けていくことが重要だと感じました。HIV訪問診療を立ち上げたソーシャルワーカーの方は、「本当はもっと沢山の病院にくることが難しい患者さんにリーチしてあげたい。でも、人も時間も資金も足りていない。これまで市長にも会って、活動の紹介をしたこともある。素晴らしいと言ってくれるが、他人事のようだった。(それが見捨てられたようで)ショックでなによりも悲しかった。一緒に動いて欲しかった」涙ぐみながら、私にそう伝えてくれました。
スラムでの医療支援
ナイロビのスラム地域を訪れると、貧困、治安問題、性犯罪、水衛生、そして感染症対策の課題が入り混じった現実が目の前に広がっていました。案内してくれた現地NGOで働く女性スタッフは、スラム出身の母親でもあります。「来てくれてありがとう。歓迎するわ。ただ、ここでは安全のために絶対に私から離れないでね」と、優しくも力強く手を握りながら伝えてくれました。彼女の言葉には、ここでの日常に潜む危険がにじみ出ていました。
特に女性や子どもは犯罪の標的になりやすく、レイプや殺人事件などの犯罪被害を防ぐために警戒を怠らないよう私にアドバイスをしてくれました。また、スラム内は感染症のリスクが高く、衛生管理についても厳しく注意されました。手洗いを徹底すること、水を節約するためミニバケツを使うトイレの利用方法、そして汚染を避けるための工夫について細かく教わりました。
この地域では、火災も大きな問題です。電線が複雑に接続されているため火災が頻発し、実際に焼失した建物跡を目の当たりにしました。案内してくれた女性自身も、自宅が火災に遭い、子どもを救い出す際に負傷し数日間入院した経験を話してくれました。その話を聞いた後、スラム内の子どもたちの笑顔に触れつつも、彼らが火災のトラウマを抱えている現実を感じ取ることができました。
現地では、ソーシャルワーカーたちが政府提供のスマートフォンアプリを活用し、子どもたちの健康記録を管理していました。成長記録や健康状況を写真付きでデータベースにアップロードする取り組みは、地域全体で子どもたちを支える温かなコミュニティの力を象徴していました。
また、日本のNGOが行う奨学金プロジェクトの活動にも立ち会いました。Zoomを通じて、スラムで教師を目指す少女と日本の子どもたちが英語で交流する場を設け、お互いの生活や夢について語り合いました。この交流の一環で、日本の支援者からの募金が直接少女の家庭に届けられ、感謝の笑顔が交わされる場面は、支援の新しい形を示していました。日本側から参加した小学生から高校生までの子どもたちは、堂々と英語で質問を投げかけ、国際的な視野を広げる姿が印象的でした。「将来は国際協力の道に進みたい」と話す子どももおり、その思いに触れるたびに、私自身も子どもたちが明るい未来に希望を持てる社会に少しでも貢献できるようにしたいと背筋が伸びる思いでした。このような支援活動を通じて、人々が直接つながり、相互理解を深めていくことの重要性を改めて実感しました。
サファリでの自然体験とプラネタリーヘルスの視点
最終日に訪れたマサイマラ国立保護区では、夕日や満点の星空など壮大な自然はもちろんのこと、大自然を駆け抜けるヌー、縄張りをめぐって争うライオン、優雅なキリンや優し気な瞳の象の家族、逞しく生きる動物達の生命力や美しさに感銘を受けました。この経験は、私が大学院で学ぶ「プラネタリーヘルス(Planetary Health)」という人間と環境の共生を考える概念と強く結びつきました。大自然の中で、自らの生物としての脆弱さを再認識し、環境と健康の相互関係の重要性を実感する貴重な機会となりました。
感謝と今後の展望
政治情勢が不安定な中で、このように多様な医療現場を経験できたことに深く感謝しています。ACEFをはじめとする関係者の皆様の支援により、短期間ながらも非常に充実した学びの場を提供していただきました。この実習で得た知見を基に、公衆衛生分野での課題解決に取り組み、特に医療資源が限られた地域での健康格差の是正に貢献したいと考えています。