2022 08
先々月に施行されたAV新法の影響で我が勤め先の編集所への発注も激減。バイトはもはや不要。よって、社長の申し出により、今月は丸々休みに。もちろん補償はない。社長は「9月からまた宜しく」と平然な面で言うてきたが、んなもん、誰が行くかい。なめんなよクソが。
毎日毎日おめこみてカットして繋いで、安い時給でこきつかわれて、不要になったらすぐ捨てて、またいつか戻ってこいって、わしゃおまえの犬ちゃう、どないな神経でそうゆうこと言えるんや。やってられるかい。
とはいえ生きるためには食わなあかんし食うためには金がいる。今すぐにでも食いぶちを稼がないと詰んでまうほど貧窮しているが何もやる気が起きない。この暇をチャンスと捉えて脚本執筆に精を出すのも良いと、おもいはするのだが、おもうだけで、身体は動かない。こうして駄文を書き並べるのが関の山。
忙しい日々を送っているときは、休みができたら掃除、洗濯、買い物、映画鑑賞、お笑い鑑賞、読書、小旅行、居酒屋ハシゴ、暴食、夜更かし、サウナ、ナンパ、風俗、自慰など、やりたい事が泉のように湧き出てくるが実際にがっつり休めるとなると、何もせずただひたすら眠り続けたいと願う。積読もサブスクもリストが溜まる一方だ。
憂鬱。この2文字が頭のなかにへばり付いて離れない。竹内まりやの「元気を出して」もビートルズの「Hey Jude」も、一切おれに活力を与えない。チバのシャウトも外で騒ぐ蝉の鳴き声に掻き消される。
何も見たくないし何も聞きたくない。延々と、煙草だけ吸っときたい。腹減ったらうどん湯掻いて、喉乾いたら宝焼酎を茶割りで飲む。疲れたら寝る。それ以外何もしたくない。人生のあらゆる行いがただただめんどくさい。
他人に嫉妬したり、羨んだり、怒ったり、あるいは恋心を抱いて、そのエネルギーを糧にして人生を前に進める気力はもはや無い。
頑張って生きるのも、死ぬのも、あほくさい。
適当にやり過ごして寿命を全うできれば良い。このペシミスティックな感情が一過性なのか、あるいは当分付きまとうものなのか、わからへんけど、今はここから抜け出せる気がしない。
敷かれたレールから外れてしもたら人生ってこんなにしんどいんか。とはいえ「前に倣え」に従うよりはよっぽどマシではある。
結局おれは自ずから茨の道を進み、身体にバシバシと刺さる棘に怯み困惑しているのだ。これはもう滑稽としか言いようがない。自分で選んだ道なのだから受け入れて然るべきであるし、むしろこの状況は創作に活かせるチャンスであるはず。わかっちゃいるけど、だるいんよ。ただもう、とにかくだるい。なにがだるいって、こんな状況これで何度目やねんちゅう話や、地獄を堂々巡りしてるだけやないか。ピンチはチャンスちゃう、ピンチはピンチ。それで詰み。終了。お手上げ。バイバイ。
あなたからの僅かなサポートでわたしは元気になり、それはさらなる創作意欲に繋がってゆきます。