人間とは何か
私は近江源氏を先祖に持つ咒医で目結紋を紋所としている 丸に隅立て四つ目結が弊所の印である
源頼朝公亡き後 世々源氏の郎党となり武士団を構成 戦国時代 江戸時代 明治維新を経て太平洋戦争で負け 一市民として現在に至る
私の父は大阪赤川(現在地名なし)生まれで 先の戦争で父兄を失い 母と二人で頑張り生き抜いて茶道具 花器職人で活躍し早々に大病して逝った
父亡き後 母は気丈に子供5人を育て上げた 最期は京セラ稲盛和夫会長からお花畑かと思うくらい供花(献花)を頂き旅立った
時々母の映像を見ると懐かしく会いたいと我が修法に頼る
難しく寂しがりやな父と愛情一杯の母で育った私は貧乏暮らしの のほほんとした性格で幼い頃から よくイジメに遭った
小学二年の時に虐めっ子の拳骨 蹴りに我慢できず あらぬ力で投げ飛ばす現象を引き起こした
それ以来 日に日に心身が変化し始め剣道柔道空手のご縁で練習は厳しかったが高校までやり抜いた
高校は一応進学校だったが威勢のよい時代に当たり 誰が強いかと他校とよく揉めた 結局は半グレ状態で故郷を出た
都会に出ても用心棒(客分)で過ごしながら幾つかの夢を起業したが納得出来ずクライアントや社員 家族の事も考えず勝手に潰した
その頃 神戸須磨の本田甫章(真言宗)僧侶と出会い現在の自分がある 本田先生は『文武両道』がモットーだ
自分探しの修行は山上ヶ岳 西国三十三所 四国巡礼を基本に山岳信仰を今も続けている
若い時も現在も懺悔の艱難辛苦は一緒だ
本題「人間とは何か」だが
言い直すと「この世に生を享けた自分は何なのか?」である
生命 人生の「究極の疑問」なのである
人は必ず死ぬ
死を覚悟した瞬間に去来する走馬灯で目くるめく過去の記憶が現れるらしい
「嬉しいこと」「 気張ったこと」「 悲しかったこと」を懐かしみ・憤り・悔恨の情で「人生の是非」を見る
その後
冥界の王 《閻魔さま》が裁くのである
ということで
答えは「死ぬ直前にしか解らない」である
今日はここまで