k osawa

主に編集者、ライター、展覧会の企画などをしています。 ここは何かの草稿。何でしょう。…

k osawa

主に編集者、ライター、展覧会の企画などをしています。 ここは何かの草稿。何でしょう。 よかったら反応いただけるとうれしいです mail: k.osawa.0128@gメール blog: http://howlmag.blogspot.com/

最近の記事

文学迷子

「暗く厚くどんよりした雲が、空の高いところからいく層にも重なっている。 それを遠目にみながら、畑の横の道を歩いている」 そう言い方を考えるときにも、いく層ものナラティブがあたまの中をかすめる。 今のひとはみんな大体そうだろう、予測変換しつづけていて、あたまの中の道すじが大体決まっている。 意識をとばしたまま気づけば電車のホームに。そこからみえる外側の道に、傘をさした二人連れ。雨傘だろうか、日傘だろうか。曇りだから日傘はないのでは? という声がきこえ、いや曇りの日こそ紫外線

    • 子と美

      男の子、女の子なんていう言葉は昔からある。だけれど今は最近、言葉がもつ意味が多すぎるな。口にするのも、はばかれはしないけれど、何か一息おいてしまう。 赤子というのは、美しいものだ。美しいという言葉は、どうしても支配的なニュアンスがある。つまり誰かの「価値づけ」というか、誰かが指標をきめてその中でものごとを話している感じがある。 美しいといったのは、ほんとうにそうだからと思うのだけれど、やはりそこに人間の価値基準みたいなものが含まれているんだろう。 さてどうして美しいなど

      • 中空日記 東京高井戸

        「俺の人生のテーマは『調和』なんだよね……」 何事もさくさくとスマートにこなす先輩と仕事をしている。時に彼の車に乗せてもらって、一緒に進行中の現場にいったりする。わたしには車の良し悪しは分からないがどうみても高そうな海外産の骨太な車。その助手席に座って、企業の話や業界の動き、今どきの思想のこととか、今進めている仕事の話なんかをする。 色々な人を乗せて走るから、ときに前にも聞いた話が繰り返されたりしている。繰り返すのはいい。繰り返しそう話すことが彼の仕事でもあり、相手によってま

        • 仕事

           大きな部屋で小さな火を、見つめ続ける仕事をしています。安心安全、健康にもいい職場だと言われています。  だけど職場だから、それなりの悩みなんかもあります。悩みは、たとえば人間関係。  職場にはよくあるもので、どうしてもソリの合わない人というのはいる。だけど、そんなものでしょう。何やら愚痴めいたことをぶつぶつと、えんえんとやっている。私はあまり興味がないから、話をふられてもええまあとうなずくばかり。その一方で、オフィス・ラブというのか……。どうもお互いに愛着をもっているのじゃ

        文学迷子

          飾り絵になる

          1   Am10時10分。  それはきれいな時刻で、時計屋さんは大体、その時刻で時計を売るという。だけどその並びの時刻というのは朝でも晩でもどうしてだろう。大体せわしなくて、ゆったりと落ち着いているということがない。  その並びの日にちというのも、不思議と、そうだ。  朝まだきにわたわたとしながら、シャワーで洗ったわたしの長い髪はつややかだった。ボンヤリとした視界の中に、ふいに虹彩がまたたいていた。妻さんが買った、サンキャッチャーというのか、ぶらさがったガラスの球が、陽光を

          飾り絵になる

          鑑賞について(2)

          四角く区切られた枠の中を、人たちとか言葉が歩んでいる。 枠もかたちを変えるし、人の描かれ方も全然ちがう。 カメラのアングルやカット割なんかも自由自在だ。 ナラティブでもあるし、絵画でもある、印刷物でもあって、不思議な存在。 だけれどすげえたくさんある。毎月、毎月。毎日、毎日。 思えば漫画って、商業によって変えられつつけている、変な表現だ。 商業と一緒になっている、というか、目に入ってくるものがどうしても、 「売れている作品」になってしまう。 それを読んで育ってきたら、どうし

          鑑賞について(2)

          かざりえ

          1 四角い画面のホログラムAm1時。 私はキッチンの丸椅子に座り込んで、普段見ているホログラムをえんえんと眺めている。というか光がたまたま四角形に映っているところで、その四角形のなかに色々な動きがある。それはカウンターキッチンのカウンターにある金魚鉢の一箇所に映し出されている四角いスクリーン。キッチンの向かい側、勝手口の上方の天窓から光がさしこんで、きれいな四角い絵を映している。 私はそれをホログラムとよんでいる。その矩形の画面の中に、どうも色々なものや光が見えてくる気がする

          かざりえ

          坂口恭平日記を見た日記

          熊本へ、「坂口恭平日記」へいった。 あのパステル画を見ておくのは大切だと思った。 気づくと3時間、4時間はえんえんと見ていたのだけど、 見ているうちに、色々と考えながら触れていたのが、感じるだけになっていった気がする。考えるのがどうでもよくなっていって、何か透明な描き手の視点だけが感じられるような、気がした。 こう長いこと見ていられるというだけでも、すごいと思うのだけど、 「すごい」と言ってしまうことに最近抵抗を覚えている。すごいの一語で思考停止しているんじゃないかと。 だか

          坂口恭平日記を見た日記

          鑑賞者の状態(1

          本について思い返してみると、展覧会のことや様々なライブのこと、買ったCDやDVDのことなども振り返ってみたくなるけれど、あまりちゃんと記録が残っていない。 ジャズ、アンビエント、フォーク、アンビエントなジャズ、ソウルフルなジャズ、ディープなアンビエント、フリーキーなフォーク、パンク。聴いた音楽についてまとめようとすると、どうにも、なんかキザったらしいものばかりに見えてしまう。 代わりに思ったのは、鑑賞者の状態について。いつからか池間由布子さんのライブに通うようになった頃から意

          鑑賞者の状態(1

          「近況報告」

          ふと、昨年書いた小説をまるごとアップします。 街中のベランダと、いくつかの二人の話です。 いつも何か書いていますから、もし興味ある方いたら お気軽に連絡もらえたら! 冊子版もあります。 (写真:カバーのartwork & design by genn hiraqui) 1 その先にとびきりの狂気があるぞ、と聞いて、太助さんはベランダで過ごしていた。  やがて狂気に出会うのでは、と半ばこわく、半ばわくわくしながら。  かの女がしているのは、そこに出してある折りたたみのイスに

          「近況報告」

          散歩道|12

          [ブレと揺れ]  対岸で安藤は、まだくしゃみを引きずっている。繰り返しくしゃみをしているわけではない。くしゃみをしたその迫力に、自分が衝撃をくらっている。どうして、くしゃみをしたんだろう。肌感覚では分かっている、向かいの部屋であなたが、こちらの話をしている。私の髪型について話しているという様子が、ありありとした雰囲気で伝わっていた。勘違いかもしれないけれど、遠く外れてはいないだろう。ただ、それを口にするのは何となく、ためらわれる。口に出したら、これまでのルールがなくなって、

          散歩道|12

          散歩道|11

          [みんなと私たち] 「何か、あれはたまたま鏡合わせっぽかっただけであって、実際はただ単にお互い、日々過ごしているだけなのだなと、思うよね」 「私たちと同じような、人が」 「そういうと語弊があるけれど。まあ同じような人間ではあるんだけど」 「それでもいいんじゃないの? そもそもどうして……鏡合わせなんだっけ」 「いつからか分からないけど、気づいたら。それこそ、ここに引っ越してから一年くらい、ずっとかな」 「そういうことになっていたというわけ?」 「ええまあ」 「

          散歩道|11

          散歩道|10

          [みんなと私たち] 「何か、あれはたまたま鏡合わせっぽかっただけであって、実際はただ単にお互い、日々過ごしているだけなのだなと、思うよね」 「私たちと同じような、人が」 「そういうと語弊があるけれど。まあ同じような人間ではあるんだけど」 「それでもいいんじゃないの? そもそもどうして……鏡合わせなんだっけ」 「いつからか分からないけど、気づいたら。それこそ、ここに引っ越してから一年くらい、ずっとかな」 「そういうことになっていたというわけ?」 「ええまあ」 「

          散歩道|10

          散歩道|9

          [夢見る三十五歳]  もう遅い、お互いのことを何となく知ってしまったから、人が想像を育む余地がなくなってしまった。それもまた思想なんだろうか。あなたはそう、安藤があの部屋で行き来している様を思い浮かべてしまう。会ったのが本当に安藤だったのかは、そうとは言い切れない。けれど安藤が渡辺に、くどくどと何か、日々のこだわりを伝えること。彼が職場に出て行って、そうして昼間にエレベーターを愛好している様子などが、以前よりクリアに想像できるようになってしまった。 対岸の鏡越しに、似たよ

          散歩道|9

          散歩道|8

          [何かによる抽象]  生活とは、結構、抽象的な思考じゃないだろうか。生きるとか、暮らすとか。元々は考える必要はないことだけれど、どうも、皆が言うからそこにあるように思える。絵画が、絵具か何かが画面に筆で塗られて重なっているだけなのに、何か皆が「描かれている」と思ってしまうから、実際にある出来事のようになっている。ほんとうはただ、一瞬一瞬の現象が毎日毎日、続いて重なっているだけというのに、そう見えてしまう。ある時にたちどころに消えてしまう、かりそめのかたちなのかもしれない。け

          散歩道|8

          散歩道|7

          [テーブルを囲む三人]  さて、夜中に、あるテーブルを囲んでいる。あなたが歩く斜めの道のその先に、すこし道幅より広いくらいの細い建物があって、その中頃の階がバーになっている。きしんだような床に、小さいテーブル。テーブルを囲むソファと椅子にすわって、3人の人たちが酒をゆっくりと飲んでいる。3人とは、あなたと、安藤のようなひとと、もうひとり……八子さんのところにいた、Yだろうか、かたちは分からない。分かるとしたら、3人がそれぞれお互いに、暮らしの話をしている。それぞれのグループ

          散歩道|7