「私を構成する5つのマンガ」を超いまさらやってみる
「いや、いまさらやな!」と思うだろう。そうです。いまさらやりますこのハッシュタグ。「#私を構成する5つのマンガ」が流行ったのが2020年の4月。約7カ月遅れて流行りに乗ります。もうほぼ波ないです。凪です。
だって「構成する」って! 緊張するじゃない!「私の好きな」じゃウケないのは分かる。でも構成するって、もう人間性が決まるみたいな言葉で怖いじゃないか。もうなんか、その人の生き方とか考え方が決まるじゃないですかマンガの趣味って。でも今年は毎日更新を決めたので、これはもう、私の趣味をさらけ出していこう、と。
それで下書き保存状態のものを引っ張り出すことにした。どうもクラウド上で発酵していたらしく、完全に臭いので、世間に振りまいてやるゾ!
こういうのは「無意識に発想するのがイチバン」だ。ごちゃごちゃ考えるとカッコつけて「ゴルゴ13」とか「蒼天の拳」とか、そんな男らしさアピールをしたくなるのでね。読んだことねぇー!
つげ義春「ねじ式」
パッと思いついたのがねじ式だった。最初に目にしたのはいつだったろう。大学生の時だっただろうか。あまりに面白さに卒倒した。
ガロの記事でも書いたが「まさかこんな所にメメクラゲがいるとは思わなかった」は、何回見ても笑える名書き出しである。
まさかいるとは……じゃねぇわ。メメクラゲって、そもそもいねぇわ。なんだその生物は。しかも左腕をかまれているのである。歯があるのだ。クラゲではない。なんだそいつは。こんな感じで妄想が広がるのが楽しい。
その後もつかみどころがなく、素っ頓狂な話が当たり前のように進む。会話のつじつまもいまいち合わない。明らかに奇妙な世界なのであるが、不思議と思っている人間は誰一人いない。ねじ式がよくシュルレアリスムの例に挙がるのは納得できる。
また絵の描写も細かい書き込みがあって驚く。と思いきや一転、背景のまったく無い大胆な描写があったりする。超前衛的で今見てもまったく新しい実験的なマンガである。ちなみにつげ義春だと「チーコ」もとても好きで何度も読み返している作品だ。
また個人的にはつげ義春の系譜を継ぐのはpanpanyaだと思う。絵を見たときに「つげ義春やん!」とびっくりした。
panpanyaは2019年の「このマンガがすごい」で30位くらいにランクインしていた。きっと中高で休み時間に教室の隅で本を読んでいて、いじめるでもいじめられるでもない、ごく平凡な人にファンが多いのだろう。
さくらももこ「コジコジ」
コジコジを初めて見たのは5歳ごろ。VHSでアニメを見たのが出会い。ホフディランと電気グルーヴの表題曲は当時から好きで、いとこと一緒にポケットカウボーイを踊っていた記憶がある。
あと「ねぇ次郎くんはどうして鳥なのに空を飛べないの〜?」とコジコジの声真似をしていて、これは今でもよくやってスベる。
それから15年くらい経って、初めてコジコジのマンガを読んで「コジコジは釈迦じゃないか」と驚いた。あおきさやかの声が出ない大人になってから気づくこともある。
なかでもファン投票1位の名シーンである1話目は絶妙だ。テストで0点を取りさらに名前まで書き間違えているコジコジに、先生は「君、将来何になりたいんだ」と問う。コジコジは平然とこう返す。「コジコジだよ。コジコジは生まれたときからずーっと、将来もコジコジはコジコジだよ」。
先生はガーンとショックを受けるわけだ。これほどまでの名セリフがあるだろうか。「あー、いつかコジコジになりたい」と思う私はまだまだ未熟なのだ。えっへん!
吉田戦車「伝染るんです。」
日本に「ナンセンス4コマ漫画」というカルチャーを持ち込んだのは、この作品が初めてといわれる。名作中の名作だ。以前、中野ロープウェイという雑貨店の店主・イトウさんからおすすめしていただき手に取り、その世界観に惚れきってしまった。
掴みどころがなく、いわゆるツッコミのいない世界。おかしくないことがおかしい。読者がメタの視点から「なんでやねん」とツッコミを入れたくなる。読めば読むほど、懐が広くなっていく。いつしか「普通ってなんだっけ?そんなもの、存在するんだっけ?」といった気持ちになり、ちょっとした悩みや悲しみなどは「まぁ、しゃあないわ」と割り切って生活できるような、そんな空を飛ぶような気にさえしてくれる。
ナンセンスには何度助けられたことか。不条理にはファニーを超えたおもしろさがある。
「伝染るんです。」は漫画界に一石を投じた作品であり、今でも駅で東京新聞の広告を見るたびになんかぞわぞわする。
ちなみに……ナンセンスとシュルレアリスムの違いとは
ナンセンスとシュルレアリスムはたびたび同じ土俵で語られる。シュルレアリスムは無意識に委ねたものに対して、ナンセンスはあくまで意識的に論理を打ち壊す点で違いがある。
論理は確かに存在する。しかしその論理性が一般的、普遍的であるかは誰にも分からない。「普通なんてもの、そもそも存在しない」と悟ったとき、エンタメこそが下らない作品になり、ナンセンスやシュルレアリスムといったジャンルが不思議と高尚なものに見えてくるのである。
古屋兎丸「Palepoli」
これは友人に勧められて5年くらい前に読んだ。古屋兎丸がやりたい放題やってるのが爽快で気持ちいい。
四コマ漫画であり、四コマ漫画でない。漫画とは何なのか。デザインとはなんなのか。画業とはなんなのか。といろいろ考えてしまう漫画だ。ペンの可能性はこんなにもあるのか。
あまりに好きすぎて記事を書きました。詳しくは以下の記事でたっぷり書いてます。
赤塚不二夫「天才バカボン」
言わずと知れた天才バカボンも、人生を構成しているという意味では5冊に入ると自負してます。竹書房の天才バカボン7巻セットを買った瞬間から、もう啓発されまくっている。
天才バカボンは超絶メインストリームでありながら、前衛的なマンガである。このコマに圧倒されてしまったのをむちゃくちゃ鮮明に覚えている。
バカボンのパパは実は赤ちゃんのときは藤井聡太二冠も真っ青の神童だった。3年間もお腹にいた末に生まれ、すぐに立って歩き「天上天下唯我独尊」と喋るというほぼ釈迦。それが「もうすぐバカになります」という一言を残し頭のネジを吐いてバカになる。
この「もうすぐバカになります」という一言の前にただ歩くだけのまったく同じコマが8つ続くのである。すごい間の使い方だなと感動した。まったく同じコマが8つ続いてピタッと止まって「もうすぐバカになります」。……しょうもなさすぎるページだが、同時にすげえかっこいいなと。天才バカボンの実験は止まらず「実物大マンガ」といってこんなのも描いている。
まさにギャグ漫画の常識をぶっ壊した天才的作品だと思っている。ものすごくナンセンスで、ぶっ飛んでいる作品だが、世の中に広く知られている。こんな作品ない。すごすぎます。
そもそも5冊で構成される人生なんてないよね
いざやってみると、選びきれないものだよねこれ。5冊で人生を表現するのって無理でした。もっともっと好きな作品はたくさんある。5はもう無理よ。
萩尾望都の線の美しさには見惚れるし、丸尾末広のグロテスクな世界観もゾクゾクするし、蛭子能収の狂気に震えることもあれば、浅野いにおのくだらない恋愛にニヤニヤすることもある。古谷実のギャグは革命だし、江口寿史の女の子にうっとりするし、浦沢直樹のストーリーに引き込まれるし、冨樫義博は早くゲームやめてマンガを描け。
ともかく5冊は無理だ。こちとら重みでIKEAの本棚を2つ潰しているのだ。そのうちKindleのサーバーも落とす予定だ。
そんな私はカルチャーとしての漫画をみんなと一緒に見ていくサブカルマンガマガジンをしています。いやはや今後ともよろしくお願いします。