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つまさきがゲル。つまさきがゲルなんです!

幼稚園なんて、いつぶりに来ただろう。自分の卒園ぶりだから22年ぶりか。そうか。もし自分に子どもがいたら日常的に送り迎えをしているのか。そう考えると、なんとなく園内に入るのをためらってしまう。変質者に見えないかな。

先週末は祖父の初盆で、親戚みんなが一同に会した。左官職人だった祖父は昔ながらの頑固者で、地域でも職場でも身内でも嫌われていたので初盆の法要は無いものだと思っていた。しかし8月の頭に葬式でお世話になった寺から「おい、おたく初盆ですがな。わしが必要じゃろ」と電話があったらしく、祖母は仕方なしに親族を集めて坊主に経を頼んだ。

うちの家系は代々明るい。「しめやか」という言葉が似合わない。下は4歳から上は86歳まで、とにかく酒を飲んでは歌い、笑って笑わせる。食べたいときに食べて、眠たいときに眠る。その日の法要も同じだった。説法中に祖母が屁を漏らし、献杯でなく普通に乾杯をし、当日はぐうぜん幹夫おじちゃんの40歳の誕生日だったので、サプライズでケーキが運ばれた。「ハッピーバースデートゥーユー」と歌っていると、坊主も手を叩いて喜んだ。

ひと通りご馳走を食べてお酒を飲んでから畳に横になっていると、4歳の従兄弟・亜希子ちゃんが背中にまたがってきた。

「あたしこんどようちえんでげきやるんだ」「劇? なにやるの?」
「き」
「き? 木なの?」
「うん。き。じゃんけんでまけたからよんばんめのきやるんだあ。見にくる?」
「そだねえ。行こうかな。いつやるの?」

亜希子ちゃんは「ままぁ!」と劇の日にちを確認しに走っていった。しかし木の役なんて、漫画みたいなことがあるものだ。亜希子ちゃんは笑っていたが、不満はないのだろうか。ゴロゴロしながら待っていると、亜希子ちゃんはこちらに駆けてきて同じように背中にまたがり「つぎのにちよう! つぎのにちようよ!」と私の頭をポコポコと叩いた。その日は空いていた。


てなわけで、幼稚園にいる。門の前にはエプロンをつけた若い女性の先生がいて、笑顔で頭を下げた。

「学芸会の観覧ですよね。えっとご父兄様ですか?」
「あ、井下亜希子の従兄弟なのですが」
「たんぽぽ組の亜希子ちゃんですね。もう始まっていますよ! はやくはやく!」
「場所はどこですか?」
「あの体育館です! はやくはやく!」

先生は「走れ」と言わんばかりに腰の横で両手を前後に動かす。長く園児をあやしていると、大人に対しても子ども扱いするようになるのかもしれない。私は命じられるままに小走りで目の前にそびえる体育館へと向かった。

幼稚園にもこんなに立派な体育館があるのかと思いつつ開け放たれたドアをくぐると、室内は真っ暗だった。客席にあるパイプ椅子では、たくさんの方がビデオカメラを回している。前方のステージでは、顔出しパネルのような木のハリボテが13個ずつ2列に分かれて並んでおり、亜希子は前から4つ目でじっと前を見ていた。めくりには「街路樹」と書かれている。

背景もなにもない。ただ木のハリボテに身を包んだ園児たちが真剣なまなざしで前を向いている。無音である。動きもせず、ストーリーもなく。同じ光景がずっと続く。続く。お客も微動だにしない。ビデオカメラは回り続けているのだろう。私は立ったまま、すこしも動けなかった。体育館の壁に掛けてある時計を、黒目だけを動かして見ると、いつのまにか30分近くも経っている。すごい。時間を感じさせない。私は木然とした彼らの執念や気迫に脱帽した。

そのままゆっくりと緞帳が降りる。会場は割れんばかりの拍手に包まれた。ライトが点いて、室内が明るくなる。がやがやと父母が騒ぎ出す。談笑する方もいれば、ハンカチで目頭を押さえている方もいた。

叔母さんに挨拶をしてから帰ろう。客席で彼女の姿を探していると、さっき門の近くにいた先生が前のほうをひょこひょこと走っていた。次の演目のためにぺらっとめくりを変える。そこには「街路樹」と書いてあった。

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