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乙姫から久しぶりに電話があったのは、12月に入ってすぐのことだった。竜宮までは高速バスに揺られて2時間半。車内で流れる「猿の惑星」を観ながら、うとうとしているうちに最寄りのバス停に着いた。田んぼに囲まれた辺境を、トンボを観ながら歩く。15分もすれば城が見えてきた。電話をかけて、乙姫を呼び出す。

「おお、久しぶりやね」

彼女は、最近いつも上下スウェットだ。5年前、はじめて仕事で訪れたときは、もうちょっと小綺麗な格好だったと思う。あのときに比べるとかなりちからが抜けた。それでいい。服はシワだらけで、髪もぼさぼさだが、脱力した人間には妙な美しさがある。

「さ、さ、さ」と城内に入る。私を歓迎しようとタイやヒラメが舞い踊ろうとするのを優しく制して自室まで導く。

「そっか、もうこたつの季節やな」
「今年も終わりやね」
なんて話しながらぬくぬくとあたたまっていると、ドアがノックされておでんとお酒が運ばれてきた。そのまま舞い踊ろうとするタイやヒラメを優しく制し、おでんをよそう。湯気がのぼる器からは、しょうゆのあまいにおいが漂う。互いにビールをグラスに注いで乾杯をした。

「これはしあわせだ」「うん。しあわせ」
ビールのグラスを置いて、よくしみた大根を箸で四つに割る。そのうち一つを崩れないように注意しながら掴む。噛む。じゅわ。じゅわ。あたたかで甘辛いダシが口いっぱいにあふれてゆく。これを幸せといわずして、なんと言うか。

「年末やなぁ」「今年もたのしかったな」

空いたグラスに、またビールを注ぎ合う。とくとくとく、と音を立てて泡がグラスを満たしていく。「あいかわらず、ビール注ぐん下手やな。マックシェイクやないか」と笑うと「いやこれね、むずい。練習したんやけどね」と笑いが返ってくる。

「竜宮って接客業やろ」
「うーん、まぁ主にね。ネット通販とかもしとるけど」
「あ、そうなん? なに売るん?」
「鮮魚とか、あとアパレルやね。ドレスとか」
「おー、時代やなぁ」

こんな調子でゆるく酒は進む。ビールから焼酎、日本酒と移ったころにはやたらと笑いが止まらなくなり、ウイスキーをロックであおりはじめたころには、もうすっかり眠ってしまった。

ふと目を覚ますと、じわじわ日が落ちかけている。隣で寝ている乙姫を起こして「そろそろ帰るわ」と立ち上がった。彼女はなにやらむにゃむにゃ言いながらコタツから出て「さむ」と震える。部屋を出て廊下を歩く。タイやヒラメが舞い踊ろうとするのを優しく制して、靴を履いていると「これ」と乙姫から重箱を受け取った。

「いや、申し訳ないよ。ご馳走になったのに」
「わざわざ来てくれたんやから。これくらい」
「え〜、まじで? ありがとう。もらう」
「また飲もうよ。来年、誘うわ」

と会話を交換し、手を振りあって、私は表にでた。夕陽が海に飲まれていく。冬の夕陽は派手ではなく、すこしかなしい。世界が終わるんじゃないかと思うほど、赤く照らされる日がある。空気が澄んでいるから、本当の色が見える気がする。

来たときよりも多くのトンボに囲まれながら、あぜ道を歩く。てくてく帰る。バス停まで歩くと、運よく高速バスがやってきた。車内にはほとんど人がおらず、私は夕陽がまっすぐ差し込む窓際の席に腰掛ける。重箱を開けると、包装された色とりどりのマカロンが入っていた。ぴりと破いて、ひとつだけ口に放る。歯を使わずに舌と口蓋でクシャと壊す。マカロンは、なんてもろいんだろう。私は行きと同じく「猿の惑星」を観ながらうとうとし、今度はちゃんと眠りについた。

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