東京観光のシンボル「スカイツリー」、実は埼玉に出来ていたかもしれなかった!
東京観光のシンボルとして国内外問わず人気の東京スカイツリー。その困難に満ちた建設までの道のりについて解説します。
15か所が誘致活動を実施
2012年に誕生した東京スカイツリー(墨田区押上)ですが、現在地に決定するまで、公式・非公式をあわせて15か所もの地域で誘致活動が進められていました。
具体的な新タワーの15の候補地としては、以下の通りでした。
台東区:隅田公園
練馬区①:としまえん
練馬区②;光が丘公園
練馬区③:練馬駅北口
豊島区①:東池袋
豊島区②:南池袋
足立区①:舎人公園
足立区②:東六月
足立区③:入谷
新宿区①:新宿6丁目
新宿区②:神宮外苑
墨田区:業平橋・押上
文京区:春日1丁目
港区:芝公園
さいたま市:さいたま新都心
例えば台東区は2001(平成13)年11月、区内に誘致を進めるための準備会を結成。当初は隅田公園周辺を候補地として挙げていました。さらには上野恩賜公園に建設する案や、上野から浅草寺周辺を候補地とする動きもありました。
足立区は2004年3月、区役所にプロジェクトを設置。こちらは東六月町(ひがしろくがつちょう)エリアのニッポン放送アンテナ跡地や、舎人(とねり)公園などを使用する案を示していました。
さらに豊島区は東池袋に、練馬区はとしまえん、光が丘公園などに建設案を出していました。東京都以外には埼玉県とさいたま市がさいたま新都心(さいたま市)に「さいたまタワー」として案を示していました。
誘致活動は自治体が主導するものから、地元の企業、住民有志が主導するものまでさまざまでした。
タワー建設に求められたさまざまな条件
ということで、候補地は数多くあったものの、その選定は慎重に行われました。なぜなら、タワーを運営する事業主体は別に設け、アンテナを利用する放送局各社は店子(たなこ。借り手)で入る前提があったためです。
単に放送電波を発信するだけのタワーを建設するのであれば、放送局各社の技術と出資だけで間に合います。しかし巨大なタワーは観光地としての需要も大きいため、付帯施設を造る必要があり、その運営ノウハウと資金は放送局だけではまかなえません。
東京タワー(港区芝公園)の建設は、産経新聞や関西テレビなどの社長を歴任した実業家の前田久吉(1893~1986年)が設立した日本電波塔(現・TOKYO TOWER)が建て主となり、現在も管理運営を行っています。
このように十分な運営能力を持った建て主が存在し、土地も十分にあり周辺住民も歓迎してくれるといった条件を満たす必要がありました。
有力候補だったさいたま新都心
誘致エリアのなかで、特に熱心だったのがさいたま新都心で、埼玉県とさいたま市、経済団体や国会議員が力をあわせた「さいたまタワー実現大連合」が結成されていました。既に同エリアでさいたまスーパーアリーナ、鉄道博物館の誘致が成功してたため、さらなる観光の目玉として、タワーを望んだのです。
2004年9月23日にはさいたまスーパーアリーナに1万5000人が集まり、「さいたまタワー実現大集会」を開催。ここでは誘致の署名が目標としていた100万人を突破し、124万人に達していることが強調され、建設候補地の新都心第8街区は11基のサーチライトによって、新都心の夜空に「バーチャルタワー」が演出されました(『毎日新聞』2004年9月24日付)。
土地も十分で、住民の期待値も高いさいたまタワーは当時、実現間近のように見えました。
さいたま新都心の問題点
しかし放送局各社の間では、さいたまタワー実現の可能性はかなり低くなっていました。
もっとも問題となったのは、電波の受信障害が及ぶ地域が広くなること。さらに、タワーを電波の送信を主体とした簡素なもので建築し、観光収入はあまり期待せず、店子である放送局からの収入をメインとして建設費を回収することを予定していたことです。
万が一、放送局からの収入が減少した場合に公費が投入されることも考えられるからです。そのため、備えとして観光地としての機能が欠かせないわけですが、展望台のあるタワーをさいたま新都心に造ると一体どうなるでしょうか。周囲は一般的な住宅街で、富士山ははるか遠くに見えるだけで、秩父山地も遠い。また高層ビル群も遠く、夜景が映えないなど問題があったのです。
よってこの時点では、2004年内に土地買収に合意が可能とされていた、サンシャイン60(豊島区東池袋)に隣接する造幣局地区周辺のほうが有力だったようです。
東京スカイツリーの建設地
紆余曲折あったものの、結局は墨田区(業平橋・押上)が2005年に第一候補地としてが選定され、2006年には新タワー建設地として最終決定となります。東京スカイツリーの建設地は、もともと東武鉄道の貨物列車ヤード跡地でした。その後、東武鉄道が貨物の取扱いを辞めてからは、東武鉄道の資材置き場に使われていた場所です。つまり、スカイツリー建築前も建築後も東武鉄道が所有している土地になります。
選ばれた大きな要因は、各候補地の航空映像にあると言われています。空撮は、候補地の上空500mにヘリコプターを飛ばし、そこに広がる360度の眺望を撮影したものです。墨田区上空からは、墨田川・荒川・東京湾の水辺があり、西には都心の高層ビル群、北から東には広大な関東平野が広がり、南西には富士山が見える。200年前に描かれた「江戸一目図屏風」のようだと委員から賞賛されたようです。決めての一つは眺望だったのです。