あまり話されない、プレイヤーからマネージャーへ移行する時のダークサイド
先日、日本がラグビー観戦に夢中になっていた頃、某大手企業に勤める友人からマネジメントの相談を受けていた。とは言っても、偶然私が先にマネージャーになっただけで、友人の方が能力的に私より50倍は優れている。
振り返ると今だから言えることがたくさんあるが、個人的に私自身にはマネージャーとしての素質も意識も欠如しているままマネージャーになったと思っている。それゆえか、色んな失敗や課題に直面し、外銀に勤めていた頃に禿げた頭は更に禿げた。
友人は、「新しくマネージャーに昇進した人間の3割は、プレイヤーからマネージャーへの移行に躓く」と言っていた。この「プレイヤーからマネージャーへのトランジションの3割は失敗する」という話はよく聞くが、個人的観測範囲内ではそれ以上な気がする。
マネージャーが抱えている問題は大体が
・部下とマネージャーの関係性がお世辞にもいいとは言えない
・部下がポンコツ
・人手不足でチームがキャパオーバー
のどれかだ。このどれかに初めてぶち当たったとき、プレイヤーとしての今までの言動では全く歯が立たない現実を受け入れたり、受け入れなかったり、マネージャーとしての経験の浅さ故のポンコツぶりに落胆したり…。
しかし、個人的に、私は実はマネージャーの一定数がとある感情を抱えているが故に躓くと考えている。もちろん個人的な考えで、断言はするつもりはない。
プレイヤーからマネージャーへのトランジションで躓く理由の一つに、一種の喪失感や寂寞があると思っている。
私の場合、自分が獲得した案件を部下に譲ったこともあり、どんどん自分が離れている感覚と共に、部下が新しい情報や知識に触れ成長しているのに対し、自分が過去の知見だけでやり過ごしている罪悪感と劣等感が腹の中で混在していた。
当時、もし私に社長以外に相談できる直属の上司がいれば胸襟を開けたかもしれないが、巷に蔓延る理想のマネージャー像とあまりにもかけ離れている自分を受け止めることが出来ず、結局私はこのことを誰にも相談できなかった。
大学を卒業してからの人生の大半を仕事に費やしてきたせいで、私は仕事に自分の居場所を見出していたと言っても過言ではない。だからこそ、この現場から離れていく感覚はそう簡単に耐えられるものではなかった。
そして現場をきちんと理解し、自分もプレイヤーとして成長し続けないと、部下に適切なアドバイスなど出来るわけがないという考えから、自分のマネージャーとしての素質のなさに本当に落胆したものだった。
こういった寂寞や一種の焦燥感は、あまりマネージャー間で話題にならない気がする。しかし、私は実際に知り合いが喪失感に耐えられず、部下と情報を共有するどころか、知識の非対称性を生み出してしまったのを見たことがある。
チーム内で権限を分散するために、意思決定権を放棄しないといけないのに、結局実行できなかったり、優越感に浸りたいがために情報を共有できなかったり、部下を脅威と見出したことが発端で労使関係の悪化につながってしまったケースも見たことがある。
マネジメントは一定の細かい管理が必要で、マネジメントの地道な努力を重ねている間、現場の知識の蓄積が保留になっている時のあの焦燥感や喪失感を思い出すと、正直今でも胸が詰まる時がある。
なんだかんだで時間が経つにつれて、自分が表舞台にあまり立ちたくない性分だったのがラッキーだったのか、自分が裏で助け舟を出したり、アドバイスをしたり、箸の上げ下ろしまで教えた部下が自信を持った姿を見て、「それでいいのだ…ふふふ」と思えるようになったり、クライアントにも「いやいや、私は何もしてないんですけど、(部下)が優秀なので」といったようなことが言えるようになった。第三者に、部下が成長したのは私が育成したからと思ってほしいと思わなくなった。
自分の目立ちたくない性分がいい方向に転がったが、もし転がらなかった場合、私はどうしていたのか今でもよく分からない。
と、ここまでダラダラ書いたが、友人に「喪失感とか感じる?」と聞いたところ、「え?そんなの全く感じないww」と即答されたので、友人には今年中に禿げる呪いをかけておいた。