インテグラル・ヨーガ 心の作用
こんにちは。ハンターxハンターが連載再開したら、連載中毎日1000回、感謝の正拳突きをすることを誓うマスクジェイです。(連載再開されれないほうが嬉しい気もする)
日々の生活の中でうれしいことも悲しいこともありますが、悲しいことにもいい意味があると信じられたら楽に生きれるなと考えています。
最近何もやる気が出ない、楽しいことがないななんて考えてました。友達とは会えないし、世間は明るいニュースがないし、仕事も何か変化があるわけではないうえ怒られるし...
心が浮かない日々ですね。でもなんでこころが浮かないのか。おいしいラーメンを食べるときもある。好きな映画を見るときもある。素敵な月を見上げる瞬間もある。生活には素敵な瞬間がたくさんあることも知っている。それを持続させるのは難しいことなのか。
人間は日に7万という思考を行うらしい。この大半が無意識に行われる。人間は無意識な思考に操られているのではないか。哲学的ゾンビの話を聞いたことがあるだろうか。これは哲学の思考実験で提示される「人間と物理的/行動的には同様であるにも関わらず、主観的な意識のクオリアを一切持たない存在」のことをいうのだと。要は、意思を持たないが外的刺激よりただし反応はするゾンビことである。
我々も日々の生活の中で様々な外的刺激により反応するがそこに主体的な意識を持っていないと哲学的ゾンビと同じ存在であるのではないか。それを考えると少し自分の生き方が怖くなってきた。日々の生活に意識を持たない癖がついてきてしまっているのではないか。日々の生活、自分のこころを感じることが鈍感になってきている。自分のこころをコントロールすることの一歩目がここにある気がする。瞑想が昨今はやっているので皆さんも体感したことがあると思いますが、瞑想を始めて呼吸に集中しようとしている様々な思考に出会っていると思う。それだけ脳は勝手に動いている。
では自分のこころを制御するにはどうしたらいいのだろうか。心の作用について知る必要があると思う。
ここでインテグラルヨーガでは心の作用が5種類あるとしている。正知、誤解、ことばによる錯覚、睡眠、そして記憶であると。これら五つの作用は大きく分けると2つにわけることができる。苦痛があるものとないものである(煩悩的なものと非煩悩的なもの)。これは言い換えると利己的なものか無私のものかである。
利己的な思いで自分自身を苦しめた経験はないだろうか。愛について自分の経験を見つめなおしてもらいたい。相手を本気で愛したことのある人はその時の自分の行動、思いについて少し思描いてもらいたい。その時のあなたの行動は相手に100%向いていただろうか。多くの人は何か心の奥では見返りを求めていたことではないだろうか。自分が思っていた分と同等の量や何かを相手にも求めていなかっただろうか。これを求めず純粋に愛を相手に送れるものが無私なものである。利己的な思いで相手を愛した際の自分のこころを思い出していただきたい、相手が自分の思い描いていた反応をしなかったときあなたは悲しみや嫌悪感、または怒りを覚えたのではないだろうか。利己的な思いとは最後には自分を苦しめる。反対に無私の思いは最後はあなたに安らぎを与えるのである。
こどもの時、親から何を皆さんは教わりましたか。無償の愛とは何かを教わることができた方は幸せであると思う。
また心の作用について細かく見ていくが今回はここまで
ではもた