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【海外生活】生き方を変えたヨーロッパ
ノマドになる前、夫の育ったオーストリア・ウィーンにトータル3年程住んだ。3か月イタリアでオペアした経験はあったけれど、イタリアの田舎町とヨーロッパのほぼ中心に位置するオーストリアの首都ウィーンは同じヨーロッパといえど大きく違った。
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また行きたい所の1つ。
まず、イタリアの田舎町では英語ができる人がいなかった。そこはピサから車で1時間ほどの所だったが私を受け入れてくれたオペアファミリー以外で英語ができる人に会うことがないまま3か月のオペア期間が終了した。
ところが、ウィーンに来て本当にたまげた。若い人を中心に英語はもちろんその他複数の言語を操ることが特別なこととはみなされず、クールなことでもなんでもなく、みんな「ふーん」って感じだから。
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フラットでお年寄りやベビーカーにも優しい。
実際、ウィーンには移民の両親を持つオーストリア人(本人はオーストリアで生まれたので国籍はオーストリアだが、家で他の言語を使っている)や移民(結婚・仕事・難民などやむを得ない事情の場合もある)がとても多い。うちの夫も漏れることなく、夫の両親はオーストリアでは外国人(父:チュニジア 母:スロバキア)なのだ。夫はマルチリンガルでドイツ語(母語)、英語(ほぼネイティブ)、日本語(会話ネイティブレベル、読解N2)、スロバキア語(会話ネイティブ、読み書き苦手)、フランス語(高校生の時は結構できたけどもうほぼ忘れた)、タイ語(簡単な会話)ができる。日本だったら大騒ぎだが、ウィーンでは驚くべきことにまずそんな話になることもなかなかないし、なったとしても「ふーん」なのだ(笑)
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これは日本という英語だけでもできたら感動レベルの島国から来た私にとってとてもショッキングだったΣ(・□・;)私は日本育ちだが、英語が話せるので、仕事で外国人のお客さんが来店するとよく内線で他の階まで呼ばれ、ヘルプに入り、とても感謝された。「どうして英語が話せるの?」「なんか英語で言って!」「英語教えて!」というセリフは何度言われたか思い出したくもない。それだけ日本人で英語ができるということは凄いことなのだろう。私は途中から面倒臭くなったので「小さいときに両親の仕事の都合でアメリカに住んでいた」ということにしていた。一緒に働いていた人は英語が話せない人ばかりだったのでその嘘はどの職場でもバレることはなかった。
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ウィーンに住んで、私は英語ができれば凄いという雰囲気に図らずも飲み込まれていたことに気付いた。そして、いつからか英語ができれば世界のほとんどの国の人と会話できるから英語こそが大切な言語という錯覚をおこしていたことを恥じた。今は、ある程度の教育を受けた人と英語で話すことはできるかもしれないが、本当にある国の生活を覗き見るためには現地語の習得は切り離せないものだろうと感じている。
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それでも人と繋がりたい。そのために勉強する。
何か国語も当然のごとく自由に操り、それが自慢でもなんでもない周りのヨーロッパ人に影響を受け、ドイツ語、スペイン語、スロバキア語そして今はタイ語と色々な言語を勉強するようになった。言語学習は趣味がなかった私の生活の一部となり、趣味となった。各言語と向き合い、悪戦苦闘する中で自分の母語を言語を教えることが仕事になった。
そしてノマドになった。
これから先、どうなるのか分からない。
でも、きっと楽しいことが待ってる。
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