キジトラ猫の決意
今年の冬は一段と寒い冬でした。
葉っぱも凍り付き、大地に芽吹く草花もすっかり身を隠しています。
このあたりの縄張りを取り仕切る大きなキジトラ猫と
このあたりの縄張りでは一番の古株の大きな白猫は
調子に乗りすぎている誇り高き北風を
諫めるように睨みながら身を寄せました。
「白じいさんよ、おれは人間の元へ行こうと思う」
キジトラ猫は、はっきりと口にしました。
もう絶対に揺るがない言葉に白猫は目を見開きました。
「お前、くるったのか?
人間につかまればどうなるかわからん。
みろ、家の中にいる猫どもを。
揃いもそろって腑抜けだらけだ。
何でも見通せる目も次第に失われ、
ぶくぶくとした毛の塊じゃないか。」
外に生きる猫は、
厳しい自然の中で生きるために感覚が優れていて、
少し先の未来も見えることがあるのです。
家猫になると、その感覚が失われるということが
外猫にも知れ渡っていたのです。
「それでもいい。人間のところに行けばそれも必要ない。
それに実は人間の家も目星をつけてある。
毎日食料を用意してくれている。
冬になる前から通っている。
問題ない人間だと思っている。」
キジトラ猫は最終確認するように一つ一つ話しました。
白猫は、黙りました。
二匹の睨みなどまったく通用しない
強い北風が容赦なく跳ね回っています。
白猫は北風など、どうでも良いほど、
自分の心の中に吹き荒れる嵐に困惑しています。
キジトラ猫とは長い付き合いでした。
生意気な若造にルールを教えてやったこともあります。
いつしかこの辺りにキジトラ猫に敵うやつはいなくなり、
逃げ傷一つない尻は立派な猫の証でした。
白猫にとっては、ライバルのような温かいプライドも、
親にも似た傷ついてほしくない気持ちも、
それでいて消え失せてほしいような
心の奥底で感じる嫉妬のような気持ちもありました。
そのキジトラ猫が人間の元へ行くというのです。
人間の元へ行くのは白猫も考えなかったわけではありません。
暑い夏、水を手に入れることが難しくて
いよいよダメかと思った時、
人間の家にある青々とした草原の上で
水遊びをする子どもを見つけました。
忍び込むと子どもは近寄ってこようとしましたが、
しっかり窘めてやり、思いきり水を飲みました。
子どもがそのあと食べ物を持ってきてくれたので、
ありがたくいただき、すぐにその場を後にしたことがあります。
でも、一度捕まったら外には出られないと聞きます。
人間の子どもも慣れ慣れしくて好きにはなれなさそうです。
迷ううちに、秋がきて冬がきて、毛並みはみすぼらしくなり、
昔のように喧嘩を挑むこともなくなりました。
やはり猫の誇りを失うことは生涯してはいけない、
俺は誇り高き猫なのだと自分を鼓舞してきました。
それなのに、自分に負けず劣らずの若きキジトラ猫が
人間の元へいくなどということが現実になっていいのか、
なぜ自分はキジトラ猫が人間の元へきくことが嫌なのか、
白猫は戸惑っていました。
「人間の家に、この前白黒ねこが捕まったのと同じ檻が置かれている。
さっき見たら、見たことのないうまそうな肉が置いてあった。
人間がいうには、”家においで” と言っている。
あれの中に入れば最後。
外には出られないだろう。
悪い人間じゃない。
傷つけようとかはしていない。
ただ、外に出ることは・・・できない。」
先に沈黙をやぶったのは、キジトラ猫でした。
それからキジトラ猫はまっすぐ白猫を見ました。
「一緒に行かないか・・?
あんたこの冬をこのまま越せないだろう。
あんたには、色々と教えてもらった。
母親に教えてもらわなかった戦い方も。
外にいるより、人間のところにいた方が安全だ。
ここ最近、寒さもそうだが夏の暑さも異常だ。
判断を見誤ってはいけない。
生きることが大事だ。
誇りなど失わなければいい。
自分の気持ちは自分次第だ。」
キジトラ猫の瞳は、キラキラ輝いています。
毛並みもこの寒さにも負けぬほどの
立派なふかふかの毛並みではないでしょうか。
白猫は猛烈な怒りが体の底から上がってくるのを感じました。
「黙れ小僧!
人間の元へなど行かん!
人間の元へ行って何が誇りだ!
猫は猫らしく悠々と外を歩き誰にもこびないものだ!
それで死ぬのなら、
俺は猫としての誇りを守ったのだ!
本望だ!
この腑抜けが!
見損なった!
とっとと出ていけ!」
白猫は、毛をこれでもかというほど逆立て牙を見せました。
しかし、衰えた腰は思うほど上がらず、
少し息巻いただけでもう、息が切れてしまいました。
そんな白猫を見て、
キジトラ猫はうっすら涙を浮かべます。
その様子を見て白猫はキジトラ猫にとびかかりました。
しかし、かなうはずもありません。
そんなことは白猫もわかっていました。
目の前が真っ赤になり、
ぽたぽたと血が地面に落ちるのを確認しました。
「・・・すまない。つい、爪を出してしまった・・。
手を出すつもりはなかった。」
キジトラ猫が言うのを背中で聞きながら、
白猫はよろよろと歩きました。
「日が暮れるぞ。早く・・・行くならいけ。」
白猫の背中にも尻にも傷は一つもありません。
すっかり細くなった体についた傷は顔にある名誉の傷だけです。
キジトラ猫はその背中を眺め、
そして人間の元へ向かいました。
遠くから、
「ガシャン」
と金属の音が聞こえたのを確認し、
白猫は少しだけ微笑みました。
それから季節は春になり、
すっかり人間にも慣れたキジトラ猫でしたが
毎日欠かさず外に向けて大きく鳴き
まっすぐに背を伸ばします。
猫の誇りは失わない。
キジトラ猫の目は、ずっと遠くを見ていました。
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昨年、庭にくるようになったキジトラ猫を保護しました。
まだ若く、様子を見るとしょっちゅう窓越しで喧嘩もしているようです。
保護した後、病院でキジトラ猫には
「逃げ傷がないから強い猫だね」と言われたことから、
外にいた時のキジトラ猫を想像して作ったお話しです。
白猫も実際にいます。
餌を置いても食べはしているようですが、
ぜったいに近くにはよってきません。
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