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フランス人にも伝われ、MOTTAINAI

日本語には外国語にない言葉がいくつかある。
「もったいない」もそのひとつと言えるだろう。

何年か前、国際的な地位にある人が「もったいない」に感銘を受けてどっかのスピーチで取り上げていたなー、と思って調べてみたら、この人だった。

2005年に国連でケニアの環境副大臣(ノーベル平和賞受賞者)のマータイさん。環境問題の世界共通語としてMOTTAINAIを広めようとしていたらしいが、残念ながら2024年パリまでは伝わっていないらしい。

ホストと、フランスのレストランで出される料理の量が多いことについて話していたとき「もったいない」という気持ちを説明するのに苦労した。

もったいない、それは単に「食べ物をムダにして損した」以上のニュアンスを持つ言葉である。それには罪悪感が伴う。しかし、その感情を理解してもらえないのだ。「罪悪感」というのがまったくピンとこないみたい。

食べきれないなら持ち帰ればいいのよ、と彼女らは言う。
今、フランスのレストランでは客が食事を残して持ち帰りたいと言ったとき、持ち帰りさせないといけない義務があると聞いた。アメリカからきた「ドギーバッグ」というやつだ。

ただし、また別のホストはドギーバッグを頼む際、少なからぬ罪悪感がある、と言っていた。ただし、それは料理を作った人(シェフ)に対する罪悪感であって、食べ物そのもの、または残す行為自体にではないという。

ガレットは、甘いのまでたどりつけず。

食べ物を残すことで思い出すことがある。
小6の夏にアメリカに引越したのだが、着いてまもない頃、アイスクリームを買ってもらい、食べていたところ、なかなか減らず困ったことがあった。
いや実は困ったどころではない。どんどん溶けてくるアイスクリームを最終的にはゴミ箱に捨てた。アイスクリームは腕にまでたれてきており、水道で洗い流さなくてはならなかった。
もはやそれは甘くて冷たい素敵な食べ物ではなかった。アイスクリームは、食べても食べてもなくならない、おそろしいモンスターめいたものになり果てていた。そこまでいったら罪悪感よりも恐怖が上回る。

フランスではそこまでの惨事にはならなかったものの、ごく早い時期にレストランに行って、前菜とメインを頼もうものなら、確実に残す量だな、と気づいた。

洗面器のような器に入ったシーザーサラダ、しっかり肉入り。

そしてなにも前菜からメインからすべてコースで選ぶ必要もないらしい、ということも。まずはスープから、とスープとリゾットを頼んだとき、スープの量に泣きそうになった。これじゃ美味しく食べられないじゃない! ちなみにしっかりフランスパンもついてきた。

フランスで外食しながら、少しずつ学んでいったことを以下に挙げてみる。

・必ずしも前菜から頼まなくてもいい。(メインだけ、メインとデザートだけもアリ)
・サラダを頼むよりも、前菜の中から野菜の多いものを選んだ方がいい。
・残ったものを堂々とドギーバッグにして持ち帰りする。

前菜メニューから選んだこれはちょうどよい量! 

ちなみにしいちゃん(娘)は、どの料理にも必ずついてくる(スープにも)パンが毎回余るので、紙ナプキンに包んで持ち帰り、ハトにやるのが日課になっていた。

ちなみに「もったいない」をどう訳すか、日本語が堪能なフランス人と話して、heart aching waste という言葉を思いついた。いかがでしょうか。

量が、という以前にサーモン寿司セットにみそ汁・漬物・ライスがついてくる不思議。

これもフランスではなく、アメリカでの話だが、アメリカの小学校に通いだして間もない頃、アメリカンキッズたちが平気で食べ物を残すのに驚いた。中にはふたかじりくらいしかしていないリンゴを、思いきりゴミ箱に放り込んでいたガキ、、、いや子どももいた。あの光景は今でも忘れない。

郷に入れば郷に従え、というが、食習慣に関しては日本スタイルを通したい気持ちが私は優勢。「いただきます」を言うとか、残さないとかね。

楽しいことをしていきます。ご一緒できたら、ほんとにうれしいです!