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インスピレーションと常識

インスピレーションは創作に欠かせないものだ。なにもそれは創造をする人間に限ったことではない。たとえば子どもの誕生に際し、名付けは親に課せられた最大のクリエーションである。(子どもそのものは親の創造物ではないと思っている)

この際、どんな親でもインスピレーションをたよりにする。それ以外には画数とかもあるだろうけど、親なりに「降りてきた・・・!」みたいな瞬間があるのだと思う。

しかし、インスピレーションだけでつけられた名前は危険で、キラキラネームなどはその代表といえるだろう。キラキラネームでなくとも、一見普通なのに「ん?」という名前をここで紹介したい。四月生まれの真夏くんだ。

インスピレーションの前に常識というやつが立ちはだかったとき、常識が黙らざるを得ないくらいの説得力があれば、誰もなにも言えないのだが、どうしても「四月は真夏ではない」という少なくとも日本国内では動かしようのない事実がある。いや、タイは四月でもう真夏の陽気だ、という向きもあるかもしれないが、四月に限らず、タイは年中あったかいし、タイの真夏だったらやっぱり日本と同じ六月から八月なのではないだろうか。

まあでも、誕生月なんて、会ってすぐはわからないし、これはまだOKの範疇なのだろう。私が常識に縛られすぎているのだ。

真夏くんのお母さんは「真夏のように熱い男になってほしい」と息子にそう名付けたそうである。
寿限無寿限無と名付けた親も、子どもの幸せを願って名付けたという点では同じだ。

ちなみに、過去に子どもに「一平」とつけたかったけど、直前でやめたというご両親の話を聞いたことがある。彼らのファミリーネームは「原」であった。

「芸術は爆発だ!」という岡本太郎の言葉がある。もちろん、常識サイドから考えれば、芸術は火薬などを用いた本当の爆発、エクスプロージョンではない。これは比喩だ。芸術は、誰もが疑ってみようともしない既成概念や信念を吹き飛ばすものである、という宣言は、常識の前でもじゅうぶんに力を発揮する。

これが「芸術はコンビニだ!」だったら、どうだろうか。これとて、このコピーを作った人の「コンビニは便利だ! 24時間空いている。なんでもある!」というインスピレーションが衝き動かした結果生まれた作品なのかもしれないが、一晩寝かせて読み直してみれば、やっぱり書き直そうかな、となるのではないか。

子どもの名付けにもその過程があれば、もう少し二度見するような名前は世の中から減ると思う。

先日、真夏くんのことを思い出したある出来事があった。あるライブに出演した際、別の出演者でギター弾き語りの人がいた。
「次の歌は、アルプスの少女ハイジのクララが立ったときのことをイメージして作りました!」というMCののち、演奏された曲は、バリバリのラテン調の曲であった。

熱くギターをかき鳴らし、クララ~! クララ~! と絶唱する彼。クララが立った感動を歌にするというインスピレーションは素晴らしいと思う。問題は(いや私が勝手に問題にしているだけで、別に全然いいんだけど)その曲調をもう少しどうにかアルプスに寄せることはできなかったのだろうか、ということだ。

ラテン調のアレンジが、それこそ「降りて」きちゃったんだろうな。

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石渡紀美(イシワタキミ)
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