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悲しい、辛い、でも這い上がる、そして喜び、生きる
先日とある大会に学校代表として行ってきた。開催地はとある島でその島に私は初めて訪れた。
着いた瞬間から温かくゆっくりとした時間が流れていた。
私はその島でまだ知らない世界をたくさん目にすることになった。
私の行った大会でたくさんの方のたくさんの体験を聞くことができた。その中には私には想像できない、辛いものも含まれていた。その方たちはその体験をしたことを感じさせないほどしっかりとした姿でお話をしていた。
辛い中で一筋の光を見つけ出しその光によって救われていく姿を聞いていたら自然と涙が溢れていた。その話を聞き終えた後私は思った。私はなんて無力なのか、私の知らない世界がありその中で辛い人たちを知らずにのうのうとし、幸せな自分に怒りさえ感じた。
でも次の瞬間この気持ちを一掃させてくれた方が訪れたのだ。
私も体験を自分の言葉で話していたのだがその話を聞いていた方が大会終了後私に話しかけてくださったのだ。私は自身の病気のこと、高校生活での葛藤、そこから抜け出し写真展をしたことにより私を見つけたこと、などを話した。
そしてその方はこのような話を聞いた私を見て、
「貴方の気持ちが伝わり勇気を貰いました。これからも頑張ってください。」
この方も幼い頃想像できないほどの辛い体験をされていた。私はこの方に優しい言葉をかけていただいた時にあることに気づいた。
私は間違っていた。私の体験だって体験した人にしか分からない。だから他の方の体験もその人にしか分からない、そんな怒りを感じる必要ないじゃないか。無力かもしれないが私に出来ることを考えるべきじゃないか。そんな気持ちと共に嬉しい気持ちもあり涙が溢れた。
その後帰り道に私は一生懸命自分に出来ることを考え始めた。その中で私に出来ることを改めて実感した。最後にそれを書こうと思う。
私は小さな小さな光でいい、悲しい、辛いと思い苦しんでる方々の光を作る人間になりたいと思う。そのためには時には言葉を紡ぎ対話をすることや今やっている写真のように私が見て救われた景色を表現することもしたいと思った。誰かにとっては私のすることは無力かもしれない。でも1人であっても誰かの光となり私が感じる「生きている」ことを喜びと感じられるようなお手伝いをするべきだなと思う。
たくさんの気持ちを見つめられたきっかけをくれた大会やたくさんの関わってくださった方に感謝して私は私に出来ることをして明日も生きよう。