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現実的な行動が、あなたを救う

こんにちは(*'▽')

悪徳商法の定番の手法に、二者択一を迫る、というものがあるそうです。AかBかを選択するように話をもっていくのだけど、AもBも実は話し手の有利になる道。どのみち、話し手が相手から搾取するようになっている。このことを知ってからは、「二者択一、怪しいなぁ」と訝るようになりました。たとえば、楽観主義か悲観主義か?と問われても、ほかに中庸、無感覚、実際に手を動かす、など他にもいろいろありますし、その問い自体にとらわれない発想のほうが重要だったりします。


ミルクの壺に落ちた3匹のカエルの有名な寓話。

楽天的なカエルと、悲観的なカエルと、現実的なカエルのうち、楽天的なカエルは「こんなちっぽけなところで溺れるわけがない」と思い、何もせずのんびりかまえているうちに、最初に沈んで死んでしまう。すると、悲観的なカエルは「楽観的なカエルが死んでしまったのに、自分が助かるわけがない」と思い、絶望してころっと死ぬ。けれども、3匹目の現実的なカエルは、浮いていようとずっと足を動かし続けていた。仲間が死んでいくのを見て、やけくそで足を動かすうちに、ふいに何か硬いものが足に触れ、それを足がかりにして外にぴょんと飛び出した。足をさかんに動かしたので、ミルクがバターになり、現実的な行動が3番目のカエルを救ったのだった。

みな死ぬまいとしている、と私は思った。幼虫やセコイア、エレ川からシロアリまで。私は死なない、私は死なない、私は死なないというのは、地球というこの星の唯一の真の叫びのようだった。本当に確かな唯一の力。私の前でただ尻尾を振っているモイラにも、子ども部屋で眠っているニーニャにもそれが感じられた。そして、寝室で今日あったことを語る私を、知的な光の宿る目で見つめながら耳を傾けるマヤにも。私は話しながら猛然と、その原初の叫び――私は死なない、私は死なない、私は死なない――の必要性を感じ、その叫びがあるうちは、マヤと私に善きことがもたらされる気がした。

『きらめく共和国』(アンドレス・バルバ著、宇野和美・訳、東京創元社、2020年)より


アンドレス・バルバ(Andres Barba)さんは、スペイン・マドリード生まれ。カエルの寓話、わたしは初めて聞きましたが、きっとスペインでは有名なのでしょう。「諦めたら、そこで試合終了だよ」と安西先生が三井寿に伝えたように(『SLAM DUNK』井上雄彦)、諦めないで実際の/現実的な行動に移してもがくことの大事さを教えてもらっているような気がします。小さな一歩として、挨拶する(声をかける)。勇気ある一歩として、SOSを発する。なんかおかしいと感じたら、一応確認する。他人の判断をあてにしないで、自分で動く。危険と思ったところから即刻避難する…などなど。

逆を言えば、現実離れした認識のもとではなにもうまく回らないということでしょうか。

Your realistic actions save yourself ☆

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