「ケア」こそ鍵!の人類進化論

こんにちは(^^)

映画とパンのお店に通っていますが、そこで手にするフリーペーパー「海の近く」のなかに、「studio COOCA (スタジオクーカ)」のイラストや作者の紹介を見かけます。まだ併設のギャラリーカフェとか行ったことはないのですが、神奈川県平塚市にある、アート活動で知られる障害福祉施設です。

毎号、掲載ページの右下「福田みのりからみなさまへのメッセージ」欄をチェックします。あるときは詩のよう。「私の心/あなたの幸せは/私の幸せよ…/ちなみに私は/冬に生まれたよ」 ほかにアドバイスも。「デートをするときのルール/女の子にとってはずかしいことをしないことがルールよ。」「ずっと欲しかった物を誕生日に/くれたら嬉しいと知らせたら…/ずっと欲しかった物の名前を書いて/プレゼントマークをつけよう/そうすれば解ってもらえます/『アドバイス』でした」←ぜんぶイラスト入り♪ うふふ(*´艸`*)


彼らにとって、仕事ってなんだろうって、ずっと考えていたんですよ、ずーっとね。福祉施設って、何をやるべきなのか。(略)ずっと同じ話題が続いている。で、改めて津久井やまゆり園の事件で、障害者の生産性とか存在価値なんかを、言われるわけですよ。それにどう反論するのかしないのか、もやもや考えちゃう。

そんなことを考えていたら、たまたま、NHKスペシャルの『人類誕生』(2018年)を見て。その中で180万年前の歯のない頭蓋骨化石が見つかって、そういう人が生きていられたということは、介護されていたんだろうって。ケアのはじまり。番組の中では、一瞬紹介されただけだったんだけど、障害者らしき骨も見つかっているらしいよ。

でね、それまでも、障害を持っている人たちって、生まれてきたと思うんですよ。高齢者もけが人も病人もいたと思うけど、残念ながら、置き去りになった。ついてこれない、自分で食えない人たちは置き去りにされる。それは、ごく普通の動物の姿なんですよ。

人類は約700万年前に誕生して、でも180万年前になぜか、「あ、助けなきゃ」って思った人たちがいるわけ。180万年前ってどういう社会かっていうと、まだ人間は草原で暮らしていて、まわりは、猛獣だらけ。狩猟採集で、一日中食い物を探して歩き回っている。そこで、動けない仲間を助けた。ぼくはこれは、人類史上最高の発見だと思ったんです。学術的に合っているかはわからないけどね。

人類は、この助けるっていうことをベースに、人類の社会、人の生き方を構築してきたんじゃないか。ぼくは、180万年前のケアから、いまの社会のすべてがはじまっているって思うんです。

だって、ほっときゃいいんだもん。ほっときゃよかったのに、はたとそこで助けた。障害だけじゃない、いろんな特性の人が生まれてきて、その特性でたまたま、生きられなかった人たちがいたと思うんですね。でもあるとき、その特性を持って生まれても、助けられて、生きられるようになった。だからね、これはある意味、人類がそこに目をつけたっていうか、あ、生かさなきゃって思ったんだと思うんです。なんらかの、これは簡単に答えられないけど、たぶん、それが大切だと思って、人間は救い出したんですよね。つまり、障害者をわれわれは、あえてつくり出したとも言えるかもしれない。

どうして助けたかって? それは神のみぞ知るですよ。その人自身、理由はわかっていなかったかもしれない。ただね、「自分」の発見だと思うんですよね、とにもかくにも。自分とはなんぞや。大脳が発達して、どうも、「自分」を意識したらしい。相手に自分を投影できるようになって、横たわっている人を見て、おれだったら、このままほっておかれたらいやだよなって。それで、助けるっていうのがはじまったらしいんだけど。

180万年前に人類が発見して、時代や民族によっては否定されたときもあったけど、この助けるっていうことは、世界全体とすれば、綿々と続いているわけです。社会保障制度とつくってね。核にはケアの考えが人類の中にあって、それを中心に社会をつくってきた。つなげてきたわけです。

われわれが、あえて障害者という人をつくり出したとしたら、その人たちに、何をしてもらうのか。われわれとおなじ生産活動をさせることに意味を見出したんじゃないと思うんです。われわれにはできないこと、無理なことを、見出したんだと思うんですよね。

それは、われわれがいつもなんかしなきゃいけないって、とらわれているのを崩す役割なんじゃないか。もっといくと、いるだけ。そこにいるっていう表現。それはね、障害者だけではないんですよ、健常者もそうで。実はいるっていうことだけじゃないですか、われわれが維持しなきゃいけないのは。

いるっていうことを考えると、ぼく一人でも、成り立つような気がする。でもたぶん、違うんですよ。生物として存在するんだったら、ぼく一人でいいんだけど、人として存在するためには、もう一人、鏡が必要なんですよ。だから、全人類二人以上の人がいてはじめて、人としているっていうことがあり得る。

としたときに、もし相手が食えないっていう状態になったら、食わせなきゃ。だってぼくの存続が危うい。それを、人類は知っちゃったんですよ。だから人類は一人ではいられなくて、相手を助けることになっちゃった。それは、ギブアンドテイクじゃなくて、ギブギブの関係。人類って、ギブギブの関係で成り立っている。生きててもらうだけでいいの。生きててくれさえすれば、ぼくは自分の認識ができるわけだから。だから人であるっていうことを維持するには、相手が必要で、相手を生かして、自分も生きる。その究極のかたちが、寝たきりの人を助けるってこと。

そう考えていくと、仕事って、たぶん、人としての自分を生かすこと。人として「いる」を続けることじゃないの、って。それを教えてくれる存在が、彼らなんじゃないかな。だから、障害者にとっての仕事って、生産性って、彼らのままであるっていうこと。障害者であることを成し遂げていくための場が福祉施設じゃないかな。

どうやって食べていくのかって課題があるけど、でも人として生きなきゃ、意味がないから。助け合っていくために、社会保障制度とか、税金の制度をつくったと思うんですよね。もう人類は助け合うことを発見しちゃったんだから、稼いでないってところを逆に問題にすべきじゃないというか、そこに口をはさむ必要はない。180万年前から考えて、やってきたんだから。まだお情けでもらってる感じが強いけど、いや、いるっていうことに価値があるんだから、それでお金をいただいていいんだって。障害とは人類が生きていく上での改善すべき社会の障害であり、課題、問題で、それを提起している人たちが障害者と言われる人たちなんじゃないか。だから障害者って認定されたら、国家公務員に認定しちゃったらいいかもしれない(笑)。

(中略)

だから福祉職がいまみたいに、生産性にからめとられている限りは、ダメですよね。そこをまったく度外視して、もういいじゃないっていうようになったら。福祉施設は、人類進化の最先端にいるんですよ。最先端を突っ走ってるの。どう社会に食い込んでいくのかって、それはわれわれ福祉職と本人にかかっているんだと思うんだよな~。

冗談じゃなく、世界平和がそこに、ぼくはかかっているような気がするんですよね。180万年前に介護がはじまって、たぶんね、集団をどんどん大きくしていったと思うんですよ。だって、食料もとれない、猛獣だらけのところで動けない人を抱えるって相当な組織をつくらないとできない。そいう意味ではさ、助け合うっていうことを軸に、集団が大きくなっていって、いまは国になっているけど、それで、戦争の数は減っている。まとまってきている。

今回の新型コロナウイルスのこともある意味、そうだよね。人類がはじめたケアっていうことに、また立ち戻っていくっていうかな。人類って助け合って、ここまで発展してきたはずなんですよ。それを、再認識させられている気がする。

もともとね、アウトサイダーの役割ってあったらしいんですよね。狩猟ができて、採集ができてさ、なんの問題もなく生きている人たちがいるわけじゃない? その一方でそういうの一切興味ない、できないっていう人たちがいて、そういう人たちは狩猟に行かないでたぶん待っていたと思うんだよね。時間にとらわれないわけだから、風感じたりして、歌よんだりしちゃって。みんなで宴しようぜっていうときに、歌いはじめたり。宴を盛り上げたのがアウトサイダーたちだったんじゃないかな。それはそれで受け入れられたらしいよ。実用的ではない、役に立たない部分こそが、人類の未知の可能性だったと思うんですよね。その未知の可能性を切り開けるのがアウトサイダーだったと思うの。

もし地球滅亡でロケットで1000人だけ脱出できるってなったら、ぼくは、絶対障害のある人や高齢者は選ばれると思う。だって未来永劫、その可能性があるんだよ。高齢者、子ども、障害者は最優先で。介護する人たちも、いっしょにね。それは、人類の存亡に関わるから。

関根幹司 《スタジオクーカ代表》

『社会をたのしくする障害者メディア【コトノネ】KOTONONE vol.34』(株式会社コトノネ生活、2020年5月20日発行)より


わたし、20代で寝たきりになったことあるのですが、歩かないでいると脚の筋肉もなくなってしまうんですよね、びっくり。働けなかった期間も相当長いんです。それで何をしてたかっていうと、感じること、考えること。具体的には、映画観たり、本読んだり、絵を見に行ったり、音楽聴きに行ったり。なにかに参加して、喋ったり聞いたり。それがいま、note.comですこしかたちあるものにできています。まだ続けるために整理させてもらってるといいますか。

わたしは、ケアをしてもらうこともあれば、ケアをすることもあります。み~んな、そうなんじゃないですか!?

CARE is the key of humanity's evolution and world peace ☆

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