喪中はがきの季節に
こんにちは( ˘ω˘ )
毎年この時期は、喪中はがきを受けとります。もしくは差し出します。身近な人の死や自分の死は、最大の危機・喪失ですが、日々の暮らしの中でも「ちいさな死」はそこかしこにあるような気がします。親愛を示したつもりが悪く受けとられてしまった、善かれと思ってしたことが裏目に出てよくない結果を招いた、ああすればよかったという後悔、、、そういったものや自分の非を認めて受容してこそ、よく生きることができるのかもしれません。…とか言いつつ、わたしができてるかどうかがもっとも疑わしいんですけど~♪
キューブラー・ロスは、死に瀕している患者200人以上にインタビューした臨床経験にもとづき、末期患者は、
第1段階 否認
第2段階 怒り
第3段階 取り引き
第4段階 抑うつ
第5段階 受容
の5つの段階を経て、ようやく死という最大の対象喪失を受容する段階に到達するのだと、その著書『死ぬ瞬間――死とその過程について』(鈴木晶訳、中公文庫)で述べている。
(中略)
死という重大な対象喪失の危機に直面した際に体験するこの5つの段階は、順序を変えて現れる場合もあれば、複数の段階が同時に現れる場合もある。また、継続する期間もさまざまであり、場合によってはある段階がほとんど認められないこともある。
いずれにせよ、ここで紹介した各段階は、生命の危機だけでなく、それ以外のきわめて困難な状況に対処せざるをえない際にも出現する防衛メカニズムである。我々がさまざまな対象喪失に遭遇した際には、一般に同じような段階を通過していくのではないだろうか――ほとんど意識していないにせよ。
たとえば、生まれてきたわが子に障害があると告知されたとき、ほとんどの親は、まず「まさか、そんなはずはない」と否認する。やがて、手術を受けなければならなくなる、あるいは、発達が他の子どもたちより遅れていることが明らかになるにつれて、第一段階の否認を維持することができなくなり、「やはりそうだ。間違いなんかじゃない」と思い知らされる。そのとき、頭をもたげてくるのが、「どうして、うちの子が?」「どうして、よその子じゃないのか?」という疑問である。そして、他の健康な子どもたちや、障害のない子を持つ親たちに対して、強い怒りや妬みさえ感じるようになる。
「この子の障害がよくなるのなら、何でもします。ほかには何もいりません」とお願いして、取り引きをしようとする親も少なくない。中には、新興宗教にのめり込んで、全財産をつぎ込んでしまう親もいる。それでも、わが子の障害が改善せず、他の子どもたちと比べて発達の遅れが目立つようになると、ほとんどの親は、わが子の行く末を嘆き悲しみ、抑うつ状態に陥る。特に、母親は「産んだ私の責任」であるように感じてしまい、強い罪悪感を覚え、「この子を殺して、私も……」と無理心中を図るような場合もある。
このような激しい苦悩と不安を乗り越えてようやく、親はわが子の障害を受容できるようになる。いや、受容せざるをえない。日々の生活があるのだから、そして親も子も年をとっていくのだから。こうして、わが子が障害を抱えながらも何とか暮らせるように、我々精神科医やカウンセラー、教師やケースワーカーなどと相談しながら、施設や公的扶助をいかに利用するか、現実的な対応を考えていくことになるのである。
これほど深刻な問題でなくても、日常生活の中で、同じような過程を経ながら我々が対象喪失を受け入れていくことは、しばしばある。
(中略)
大人だって同様である。仕事で大きなミスをして――たとえば契約書の数字を一桁書き違えていたとか――上司に叱られたとき、まず「まさか、そんなはずはない」「自分がこんなミスをするなんて信じられない」と否認して、最初のショックを和らげようとする。やがて、間違いなく失敗であることが明らかになり、最初の否認を維持できなくなると、「どうして自分が叱られるのか」「どうしてあいつじゃないのか」という怒りがこみあげてくる。「あの同僚も一緒に書類を作ったじゃないか。直属の上司だって一応確認したじゃないか。それなのに、どうして自分だけが責任を押しつけられ、叱られなければならないのか」などと他人のせいにすることもある。(略)
この失敗による減点を取り返そうとして、これまで以上に頑張るようになる人もいる――毎朝、誰よりも早く出勤するとか、取引先をいつもよりたくさん回るとか。いわば、名誉挽回のために取り引きをするわけである。それでも、この失敗によって低下した上司からの評価はもはや取り戻せないように感じ、「取り返しのつかないことをしてしまった」などと思い込んでしまうと、気分が落ち込んで、仕事に対する意欲も低下する。重症になると、朝起き上がれないために出勤できず、上司に勧められて心療内科を受診、「抑うつ状態」との診断で数カ月間休職せざるをえない場合もある。
しばらく休養して、嘆き悲しんだ末に、「やり直しがまったくきかないわけではない」と思えるようになると、何とか自分の失敗を受け入れられるようになる。こうして回復へと向かうわけだが、もちろん、そのためにはある程度の時間と周囲のサポートが不可欠である。怒りを表明し、喪失感や抑うつ感を味わいながらも、周りの人に支えられ辛い時期を乗り越えて、やっと仕事に復帰できるようになるのである。
このように、一般に対象喪失に直面した際、我々は、キューブラー・ロスが記述したいくつかの段階を通り抜けてはじめて、対象喪失を受容できるようになる。もちろん、各段階の順番が変わることもあれば、同時に出現することもあるのだが、その間、常に苦悩や不安がつきまとうことは言うまでもない。
片田珠美
『一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病』(光文社新書、2010年)より
失敗のない人生は大失敗、なのだそうです。人生は失敗ありき、だとしたら、失敗したときの立ち直り方を押さえておいて、「いい経験をした」「人生勉強になった」なんて言って(痩せ我慢に聞こえるかもしれないけど)起き上がって進みたいものだなぁと思います。
No good death, No good Life ☆
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