蜘蛛の糸、藁(わら)、投げられた浮き輪…なんでもいいから掴んでね
こんにちは(*'ω'*)
「躁鬱大学」を創設した(そういうタイトルの本が今年出版されています)坂口恭平さんは、わたしの先輩なのかもしれません。堂々と「こういう人間が存在するんです」とおっしゃってもらうと、とても気が楽になります。ご自身の電話番号を公開して「いのっちの電話」も受けつけてる様子。ちょっと覗いてみましょう…!
「はい、もしもし」
「坂口さんですか?」
「はい。坂口恭平ですよ」
「散歩してみましたよ」
昨日の夜、電話してきた人だった。鬱になってずっと家にこもってて、死にたくなっていた。でも1日ぐったり寝てるというわけではない。一応、体は起こそうと思えば起きる状態。でも、外に出ると近所の人と会うかもしれない、そう思うと怖くなって外に出ることができない、と。僕も鬱になるとまったく同じ状態になるから理解はできる。しかし、外に出ないと、体の調子はいつまでたっても楽にならない。僕の場合はそうだ。こういうとき僕は車に乗って、知っている人が全然いない場所にまで行って、そして散歩をする。まあ、なんとも情けないなと思うのだが、それでも歩けないよりはましだ。朝ご飯を作って、そのあと歩いてみよう。そして、そのときの気分が今までの絶望的な状態からどれくらい変化したかチェックしてみようと伝えると、彼女もやってみると言って電話を切った。
「うん、うん、うん。いいね。行動できたじゃん。で、どれくらい歩いたの? 2時間歩いた?」
僕は2時間歩くと、ちゃんと熟睡できるので、それは伝えといた。
「2時間はさすがにきつくて。でも1時間歩きました」
「いいじゃない、いいじゃない! それで、心地は悪くなかった?」
行動する前と行動したあとの心地よさの違いを確認してみると、その行動が自分に合ってるかどうかがわかる。
「いや、不安がどーっと押し寄せてきて」
「不安よね。わかるわかる。あるよね。景色がちょっと色あせてね」
僕も鬱のとき歩いていると、ドヨーンとしてくる。いつも「気が遠くなる」と表現するのだが、歩きながら具体的なことは何もないのに、とにかく不安が襲ってくる。そして、景色が全部灰色に見えて、その色からまた陰鬱な空気を全身で感じ取ってしまって、いてもたってもいられなくなる。でも、家の中でそうなってしまうよりも実は楽である。家の中ではいてもたってもいられなくなっても身動き取れないので、どんどん息苦しくなるが、散歩だったら、いてもたってもいられなくなったら、そのまま急ぎ足で歩きまわればいいので、実は体の要望には応えていることになる。
「んー、それで何か見つけた?」
散歩中は悪いことばかり考えてしまうので、そうじゃなくって、なんかいいなあって思ったものを見つけて写真に撮ってみたらと伝えていた。こういうときは自分で考えられないので、やることを他者が横から言ってあげたほうがいい。鬱のときはほっとくとすべて悪い方向に考える。悪い予感ばかり追い求めてしまうので、そうじゃなくて、気持ちのいいことを見つけるように少し誘導してあげたほうがいい。
「ああ。パンジーの花がきれいでした」
「写真撮った?」
「撮りました」
「いいね。触れた?」
「よーし。で、あとは?」
「ホットサンドを食べました」
「自分で作ったの?」
「いや、作れなかったので、買いました。おいしかったです」
「おいしかったらオッケー。じゃあ、次の課題を出していいですか?」
「課題ってなんですか?」
とにかくやることを一緒に考えつつ、提案してみる。そのあと、報告してもらって、話し合う。このやり取りが意外と効く。いいことも悪いことも伝える人がいないってことが鬱の原因じゃないかって僕は思ってる。
「パンジーを調べてください。パソコンでも、図書館に行っても、なんでもいい。パンジーがなんなのか。パンジーの花言葉はなんなのか。何かあなたにメッセージがあるよ。ちょっと待ってね、パンジーの花言葉ちょっと今調べてあげる(iphoneで調べる)」
「何色のパンジーだった?」
「黄色です」
「OK。えー、パンジーの花言葉は “もの思い。私を思って” 。黄色のパンジーは “つつましい幸せ” 。誰を思ってるんだろうね。もしくは、誰かがあなたにわたしを思ってって言ってるのかも。心当たりある?」
花言葉って古代ギリシアの哲人たちが寄り集まって必死になって編み出した言葉で、適当にイメージで作られたわけじゃなくて、無数の経験をもとに作られてると僕はどこかで知った。だからとにかく的中率が高い。これも地面の声を聞く方法の一つ。とにかく絶望を感じているときは、この目の前の現実のことだけ、人間だけが作り上げている仮想の社会というものだけを考えすぎている。そこに少しでも隙間風が入れば、まあ、そんなこと深刻に考えなくてもいっかみたいに深呼吸できたりする。ただ、酸素が足りない場合もあるので、大きく吸って吐いてはよく伝える。地面の声を聞くって作業も別に精神論で言ってるわけじゃない。そのためには歩かないといけないし、触れないといけない。そうやって鬱の思考回路とは違うことをしてみたらと伝える。風通しを良くしてあげるだけ。
「自分が困ってるって母親に聞いてもらいたかったですね」
「なるほど、それじゃん。ちょっと待って、お母さん、どこにいるの?」
「駅で二つくらい離れてる実家にいます」
「それを言ったことある?お母さんに」
「それって?」
「ずーっとそばにいてとか、苦しいから話を聞いて、とか」
「いや、ないです」
「それなら私を守ってって言ってみたら? すごい苦しくて、不安で、私を守ってって。ちっちゃい頃、甘えんぼした? 母ちゃんに」
「いやないです。それが寂しかった。でももう私子供もいるし……。今さら言えない」
「死ぬよりいいじゃないの。お母さんの胸元で泣いたらいいよ。よしよししてくださいって言ってみたら? バカみたいに1回甘えてみようよ」
「えー、やっぱり言えないですね」
「じゃ、俺がやってみようか。よしよし、とか」
「えっ?」
「うん、俺でもいいけど、できたらお母さんにやってもらったら、もっと直接入ってくると思うよ」
「今頃になってそんなこと言えないですよ……」
「そうだけど。自分がしてほしいように愛してもらったらいいよ。それを言ったほうがいい。わがまま全開で。こういうふうに、よしよししてって、ここをさすってとかさ、具体的に丁寧に細かくお願いするの。やってほしいことを」
「ちょっと恥ずかしいですね」
「いいいい。恥ずかしがらずに。ただ、子供とかには黙ってたらいいから。旦那さんにも同じように、膝枕してもらって、背中をとんとんって叩いてとか、撫でてもらったらいいよ。セックスしてる? 旦那さんと」
「ずいぶんしてないですね……」
「ただ触りあったり、まあキスだな。ぎゅーってしてもらったり。そういうのしてって自分で言ってごらん。してもらいたいって今日。夕食食べる前くらいに。今日はすぐ寝ないで起きててって言おう。それでいってみよう」
「言うの恥ずかしいですけど、本当はやってほしいです」
「じゃあ伝えてみようよ。それで何か変わるかもしれないし。それで、ホットサンドおいしかったでしょ。おんなじやつ作ってごらん。どういうホットサンドが一番うまいのか調べて、それを作れるようになってみようよ。それを旦那さんに食べさせてみて。お母さんでもいい。次は、近くにいる人に、自分の叫びっていうかそういうのを具体的に言ってみる練習。ぼんやりと “苦しい” と言うよりも、こういうふうにしてもらうと楽になるとか、すごい気持ちいいとか伝えたほうがいいかも」
「母親にも電話で伝えてみます」
「いいね。試して無駄なことは何もないと思うよ。お母さんが嫌がらない程度にお願いしてみよう。それでも不安だったらまたこっちに電話して。どんどんお母さんにお願いしていいよ。今は調子が悪いんだから、助け合い。どう、最後になんか言いたいことある?」
「一人でいるときが辛くて……」
「そのときは俺に電話してよ。俺が宿題あげるから。宿題を真剣にやれば、大丈夫だったでしょ。歩くとか。きついけど、爆発はしなかったろ?」
「確かにパニックにはなりませんでしたね」
「それだけよ、それをずーっとやり続ければいいから。ずーっと俺を頼りつづければいいから。そのかわり、ちゃんと自立する瞬間は、パンと出ればいいから。一人でできるようになるから、そのうち。一人の時間も幸せな気持ちになるから。つつましい幸せを感じるようになるよ。自分は今日よくやった、って今言ってみよう」
「えっ?」
「今言ってみて」
「でも何もできてないし」
「そんなことないじゃん。ずっと横になってたのに、朝起きて、ご飯も食べて、外まで出れて。よくやったねって、言ってあげよう。自分に」
「よくやったね……」
「そうそうそう。よく歩いたねって。言ってあげて」
「よく歩いたね……」
「そうそうそうそう。できるようになった。まず口にするの大事だから。OK? 基本的にベタ褒めでいきましょう。そこ、ベタ、大事だから。もっともっと元気になると、レベル上げていく、立体的な考え方するけど、今はベタ褒めでいっちゃおうか。はーいじゃね!」
坂口恭平
『まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平』(リトルモア、2019年)より
あぁ、わたしも声楽を習いにいってた頃、歌曲に登場するすみれやバラの花言葉調べた~。散歩した~。どん底にはまってるときは、自分のことベタ褒めした~。歌うと少し気分がよくなるから、歌、つづけた~。
やはり、体調がよくないときは、突き詰めて考えないことですね。気をそらす、そのときをやり過ごすいい方法をいくつか見つけておきましょう…( ˘ω˘ )
さいきんは、中島美嘉さんの「僕が死のうと思ったのは」を歌います♪ しんどさはしんどさとしてありつつも、わたしだけじゃないんだなぁ…と、孤立感は拭うことができます。そしてさいごに、ほんのり希望をもちます。
Speak what is in your mind, even if that is not easy to say ☆