本を読むこと
こんにちは(*‘ω‘ *)
よく本を読みますが、肝に銘じておきたいこと、勘違いしてしまわないよう戒めにしておきたいことがあります。以下に…!
本には力がある。
たくさんの本を読むことはよい。けれども勘違いしてはいけないことがある。
本には大きな力がある。けれどもそれは、あくまで本の力であって、お前の力ではない。
ただがむしゃらに本を読めば、その分だけ見える世界が広がるわけではない。どれほど多くの知識を詰め込んでも、お前が自分の頭で考え、自分の足で歩かなければ、すべては空虚な借り物でしかないのだ。
本がお前の代わりに人生を歩んでくれるわけではない。自分の足で歩くことを忘れた本読みは、古びた知識で膨らんだ百科事典のようなものだ。誰かが開いてくれなければ何の役にも立たない骨董品に過ぎない。
お前はただの物知りになりたいのか?
読むのはよい。けれども読み終えたら、次は歩き出す時間だ。
*
林太郎は山が好きか?
――登ったことがないからわからない。
本を読むことは、山に登ることと似ている。
――本と山?
読書はただ愉快であったり、わくわくしたりするだけではない。ときに一行一行を吟味し、何度も同じ文章を往復して読み返し、頭をかかえながらゆっくり進めていく読書もある。その苦しい作業の結果、ふいに視界が開ける。長い長い登山道を登り詰めた先ににわかに眺望が開けるように。読書には苦しい読書というものがあるのだ。
愉快な読書もよい。けれども愉快なだけの登山道では、見える景色にも限界がある。道が険しいからといって、山を非難してはいけない。一歩一歩喘ぎながら登っていくこともまたひとつの登山の楽しみだ。どうせ登るなら高い山に登りなさい。絶景が見える。
*
むやみと急げば急いだ分だけ多くの事柄を見落とすのが人間である。汽車に乗ればさぞかし遠くへ行けるであろうが、その分だけ見識が増すと思うのは誤解である。路傍の花も梢の小鳥も、自らの足で歩く愚直な散策者のもとを訪(おとな)うてくるものである。
夏川草介『本を守ろうとする猫の話』(小学館、2017年)より
本で(ネット上で)すべてを知れると勘違いしないように気をつけたいと思います。手にとって読める本は人生の副読本のような位置に置いて、あくまで自分の人生の物語を中心に据える見えない本を一冊、芯に持っていたいです。
とはいえ、本を読むことで出会えることがたくさんあります。さいきんではブレイディみかこさんの『女たちのテロル』(岩波書店、2019年)で知った、金子文子さんにほの字で、100年前の人ですが私のソウルメイト見つけた!と思ってほくほくしています♪
After read books, walk outdoors. VARIOUS EXPERIENCES enrich your life ☆