星に祈るとき
こんにちは(*‘ω‘ *)
米津玄師さんの「カナリヤ」Music Videoは是枝監督によるもの。連れ合いの方を亡くしても透明なカーテン越しに離れて見るだけで、近くに寄ることも触れることもできない、残された夫の慟哭する姿が突き刺さってきます……。
「今使えるECMOは一台のみ、患者は二人。速水先生、どうすればいいと思いますか」
「それは、ここの組織の責任者が決定することだ」
「ズルいですよ、速水先生。先生に建前は似合わない。本音を言ってください。それとも私に言わせるおつもりなんですか」
速水は腕組みをして黙り込む。口を開いたのは空気を読まないナパーム弾、名村教授だ。
「みなさん、何を悩んでいるんですか。ECMO一台、患者は二人。どちらかを選ぶしかない。ひとりは七十代の無職女性。もうひとりは二十代の医師だ。社会的に考えたら後者を選ぶのが当たり前です。検討の余地などありません。そうですよね、速水先生?」
速水は腕組みをしたまま動かない。保阪美貴が声を上げる。
「この病院に入院していた患者が優先されるのが当たり前でしょう。違いますか?」
その声は悲痛だった。美貴は唇を噛んで黙り込む。祖母の貴美子を助けたい一心からほとばしり出た言葉だが、同時に大曽根の命を奪う言葉でもあることに気がついたからだ。
美貴の困惑は怒りに変わり、冷静な発言をした名村教授に向けられた。
「患者に貴賤をつけて選別するなんて、おかしいです」
ナパーム弾に竹槍(たけやり)で突っ込むような無茶な反撃だ。案の定、美貴は盛大な返り討ちにあう。
その激しさは周囲の人間をも凍り付かせるような、徹底的なものだった。
「私の倫理は感染症を蔓延させないための考えで、感染予防に役立つものは正義、役立たないものは悪です。もちろん私が正しいとは思っていません。だが撤回するつもりもありません。私の判断は感染症との戦争に勝つという観点からは、絶対的正義です。二十代の医師と七十代の無職のご老人。どちらが戦闘員として役立つかなんて自明のことで、議論の余地はありません」
「でも、ばあちゃんは、わたしが小学生の頃に登校拒否をした時、何も言わずに三ヵ月、家で一緒にいてくれたんです。看護学校受験も応援してくれました。わたしが看護師になれたのはばあちゃんとじいちゃんのおかげです。じいちゃんは去年亡くなったから、せめてばあちゃんにお礼したくてクルーズ船の旅をプレゼントしたんです。なのにこんなことになってしまって……。私はもう一度、ばあちゃんと話がしたいんです。お願いです。ばあちゃんを助けてください」
その言葉を聞いた速水は、腕組みを解いた。
「俺は判断を拒否する。コイツを連れてきたのは俺だ。だからコイツのおばあさんも大曽根も両方助けたい。だから俺は判断から逃げる。この判断は、俺以外の誰かがすべきことだ」
「自分だけいい子になりたいんですか、速水先生。見損ないました」と佐藤が詰る。
「何と言われようと構わない。俺はコイツをひとりぼっちにしたくないんだ」
そう言って速水は泣きじゃくる保阪看護師を見た。皆が黙り込む中、如月師長が口を開く。
「あたしも速水先生を支持して判断はしません。速水先生をひとりぼっちにしたくないから」
「みなさんは医療従事者として、冷静な判断ができないのですか」と名村教授が呆れ声で言う。
「医療従事者の前にひとりの人間です。感情というものがあるわ」
佐藤部長が吐息をついた。
「この判断は、私がすべきなんでしょうね。感染爆発してロックダウンになったニューヨークではもっとシビアで、人工呼吸器を外すという選択すらあると聞きます。ガイドラインの基準は、『現在の重症度だけで判断しカラーコード(重症度)の指標を決める』と『四十八時間治療をしても回復しなければ人工呼吸器を外す選択も考慮する』という二つです。保阪さんの場合は四十八時間の人工呼吸器装着によっても状態が改善せず、ECMO導入が考えれれていますが、アメリカでは同じ状況下で、人工呼吸器を外すという選択まであるんです。その時の判断基準は、その患者が回復できるか否か、ということだけです。お二人のデータを比較し私は、大曽根さんの方が回復の可能性が高いと判断した。ただそれだけです。以上を踏まえた上で、最終判断は新型コロナウイルス対策本部委員長、田口先生にお願いしたいと思います」
俺かよ、と田口は心中で叫ぶ。確かに田口はこれまでも無理難題が降って湧き、ついて回ってくるトラブル憑依体質だが、こんな重い判断を全権委任されたのは前代未聞だった。
そういう勇ましい決断は速水や、掟破りの名村教授、はたまた厚労省のはぐれ鳥、白鳥技官のような人、もしくは老獪(ろうかい)な腹黒タヌキの高階学長の専任事項だったのに……。
速水まで逃げ出すとは……。田口は委任された事項に、最高責任者として直面した。
「ECMOは一台、患者は二人。どちらを選ぶかという問題ですが、若い医師を選ぶべきが二人、当院に入院していたご老人を優先すべきという方がおひとり。判断拒否がお二人ですね」
田口はどうでもいいことを確認しながら、時間稼ぎをする。
幸か不幸か、コロナ肺炎の悪化症例は人工呼吸器に載せれば状態悪化はゆるやかで、ECMO導入は一刻を争う緊急の判断ではないため、こうした時間稼ぎも許される。
「これは命の選択という重い問題を突きつけています。実際コロナ感染患者が爆発的に増大しているイタリアやスペイン、ニューヨークでは、そうした問題に医療現場が直面しています。その時、現場の医師や医療スタッフにその判断を一任されては心的負担が大きく、とても保ちません。現に保阪さんは親族と同僚という二人から、一人を選ぶことを強いられています。たとえどちらを選んでも彼女の心の傷は大きいでしょう。そんなことはあってはならないのです」
「あってはならないが、その場面になった場合は誰かが判断し、誰かが傷を負わねばなりません。それが前線で戦う兵士と指揮官だ」と言う名村教授は完全にコマンダー・モードだ。
「名村教授のおっしゃる通りで、正しいと思います。私の選択も名村教授と同じものになるのは必然です。でも私はウイルス戦闘部隊の指揮官である名村教授と違い、ひとりひとりの命を扱う医療従事者です。その時に命に貴賤はないというのは基本原則で、そこを軽視してはならないと思うんです」
「田口氏の言うことはもっともで、おかしいというつもりはないし、議論を尽くすという姿勢は尊重したい。だがそれは平時の判断で、今は有事の真っ最中だ。悠長な議論の結論が出るとは思えない。我々はどちらかに決めなければならない。先ほど田口氏は、自分の判断を口にしている。今さら決定を引き延ばすのは、時間の無駄だ」
「無駄ではありません。結論を出せば反対意見や保留意見の方も、その結論を容認したことになります。保阪さんにはおばあさんを見捨てたという傷になり、速水には彼女の心情を知りながら何もできなかったという悔いが残る。これから医療を支えていく二人に心の傷を負わせたくない。だから私はギリギリまで道を模索しようと、こうして悪戦苦闘しているのです」
「まさか田口氏は、二人ともECMOを適用しないという、優柔不断で喧嘩両成敗みたいな決断をしようというのではあるまいな。それこそナンセンスだ。目の前にある医療資源を最大限に活用し、救える命を救うのは医療の基本ではないか」
他の三人が、まさか、と驚いたような目で田口を見た。
もう限界だ。田口は目を閉じた。
その時息詰まるような室内に、携帯の呼び出し音が鳴り響いた。
★ ★ ★
「今は数値が安定してますから平気です。データが動いたらお休み中でも起こします」
「それでいい。そうしないといのちが失われてしまうからな」
速水は稼働中の二台のECMOと、それに繋がっている二人の患者を眺めた。
「だが急変を認知しても打つ手がない。ECMOは肺を休め、その間に自力で組織が修復されるのを待つ。俺は遅太郎にもお前のおばあさんにも何もしてやれないんだ」と速水は唇を噛む。
「そんなことありません。先生のおかげで大曽根先生はECMOを装着してもらえました。わたしもばあちゃんのケアができました。ひょっとしたら最後のお別れもできず骨になったばあちゃんと会うしかなかったかもしれません。でも速水先生がドクタージェットを飛ばして、一緒に連れて来てくれたおかげで、わたしはここにいます。それは速水先生がしてくれたことです」
そこで美貴は言葉を切った。そして続ける。
「ばあちゃんか、大曽根先生か、どちらにECMOをつけるかという決断を迫られた時、わたしもわかっていたんです。誰が見たって大曽根先生につけた方がいいに決まってます。でもわたしは言えなかった。みんながそんな風に考えて、わたしまでそんな風に答えたらばあちゃんが可哀想すぎます。だからわたしは……」と言って美貴は声を詰まらせた。
「わかっている。みんな、わかっている。だからもう言うな」
★ ★ ★
「二人ともO2サチュが下がり始めている」と言いながら、速水はモニタで佐藤を呼び出す。
「ECMOの状態は一時間前にチェックして問題はなかった。今、もう一度チェックしたが、やはり稼働は正常だ。どうすればいい? 打つ手がない? 佐藤ちゃんはECMOのプロだろう。なんとかしろ。プロだから無理なものは無理だと言うしかない? ふざけるな」
速水はモニタに罵声を浴びせた。モニタの中の佐藤部長の表情が苦しそうに歪む。
速水はモニタを切った。
「祈れ、だとさ」
ふたりの患者は、申し合わせたかのようにO2サチュが10も下がっている。危険な兆候だ。
周りの世界がぐにゃりと歪み、ふらついた美貴は、部屋の中央のプラネタリウムの映写機にもたれ、手を突いた。すると突然、ぐいん、ぐいんと大きな音がして映写機が動き始め、丸天井に星座が映し出された。そうして天井の偽りの星宿がゆっくり回転し始める。
「すいません。うっかり」と言って美貴がスイッチを探し、映写を止めようとする。
速水は「そのままにしておけ」と言い、部屋の隅の簡易ベッドに横になる。
「プロが、祈れ、と言うんだ。ならば星に祈るしかないだろう」
美貴は貴美子の足下に座り込む。学校でいじめられ三ヵ月不登校になった時、貴美子が海岸で夜通し一緒に星を見てくれたことを思い出した。
「遅太郎、星が綺麗だぞ。保阪もいるぞ。起きろ。起きて一緒に見ろ」
天井に映された星宿は、ゆっくりと回転を続けた。
いつしか眠ってしまった速水は、「先生、数値が」という美貴の大声で目覚めた。
立ち上がり、ECMOに歩み寄る。二人ともデータが劇的に改善していた。
「私と速水先生の祈りが天に届いたのでしょうか」と美貴が言うと、速水は首を振る。
「バカ言え。もともと重症患者の死亡率は五割。つまり半数は治癒するんだ」
そう言った速水は、にっと笑った。
「だがもし、祈ることで患者を救えるのなら、俺はいくらでも祈ってやるよ」
三日後、二人の患者はECMOから離脱した。速水と美貴はECMOの担当の任を離れた。
『コロナ黙示録』(海堂尊、宝島社、2020年7月24日第1刷発行)内、「18章いのちの選別2020年3月」「19章星に祈れ2020年3月」より
きょう、わたしの高齢の家族の一人が第1回目のワクチン接種を受けています。まだまだ始まったばかりで、気の緩みなんてもってのほか。人流抑制と言うのなら、個人としてそれにできる限り協力することにします。そんな状況で、海外から9万人も来られても…ねぇ…(;´Д`)…( ゚Д゚)ウソでしょ。
I still pray to revive …☆