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「永遠にずっとめちゃくちゃ幸せ」を信じる:「SUPER HAPPY FOREVER」感想

「カップラーメンでこんなに幸せになれるなら、永遠にずっとめちゃくちゃ幸せでいられる気がする」

五十嵐耕平「SUPER HAPPY FOREVER」

旅館の窓に広がる、青々と美しい海。しかし、そんな景色には大して関心がない様子で、丸く曲がった背中で外を眺める男。「風呂に行くけど」という友人の問いかけにも応じず、ひとりで部屋を出て、なにかの感触を確かめるように海辺を歩き始める。「SUPER HAPPY FOREVER」は、その少し刺々しさすらある明るいタイトルに反して、あてのない暗い旅を予感させるようなオープニングではじまる。

主人公の佐野は妻の凪を亡くしたばかりで、友人の宮田とともに彼女と出会った(熱海をおもわせる)思い出のリゾート地を辿りに来たのであった。彼らが泊まる「819号室」は凪がかつて宿泊した部屋だが、この旅館もあと数日で閉館を迎える。マスクを着けた受付の男性は、この世界がパンデミック後の現実と地続きであることを示唆する。佐野が凪と訪れたレストランも閉店し、街全体が亡き妻の思い出とともに風化しているかのようだ。しかし、それでも佐野は諦めない。かつて彼女と過ごしたこの地で失くした「赤い帽子」を見つけようとあちこちを彷徨うのだ。

自暴自棄になった佐野は、酔っ払って周囲に当たり散らし、しまいには友人の宮田とも喧嘩別れしてしまう。彼が大事にしていた「SUPER HAPPY FOREVER」という怪しげなセミナーの指輪を勝手に捨てたのだ。一人ぼっちになった佐野は、偶然清掃員の女性がボビー・ダーリンの「Beyond the Sea」を口ずさむのを耳にする。この曲をキッカケにして、映画の舞台は佐野と凪が出会った5年前に移っていく。

「SUPER HAPPY FOREVER」というタイトルは、冒頭に引用した作中の凪のことばを引用するならば「永遠にずっとめちゃくちゃ幸せ」という意味だ。しかし、そんなこと現実にはありえない。凪がすでにこの世に居ないという作中の出来事を引き合いに出すまでもなく、僕たちはそのことを知っている。どれだけ美味しいご飯をたべてもお腹がいっぱいになれば飽きるし、相性ぴったりの恋人と出会ったとしても、いずれ相手の嫌なところが見えてきて喧嘩するだろうし、環境が変わってあっさり別れてしまうことだってある。たのしい思い出を振り返って「あのときはあんなに幸せだったのに」と落ち込んでしまうことは、誰にだってあるはずだ。

一方、そんなのウソだとわかっていても、そうとしか信じられない時間、つまり「永遠にずっとめちゃくちゃ幸せ」だって確信できる瞬間が、人生には必ずあると思う。それは佐野と凪にとって、たとえば信号待ちに赤い帽子を被せ合ったときかもしれないし、ファミリーマートの前で絶妙にお互いを気遣う距離をあけて座りながらカップラーメンをすする時間だったかもしれない。さっき言ったことを矛盾するようだけれど、その確信は嘘ではないし、あとから何があったとしても否定されるものではない。そう、絶対に。僕たちは不幸を知っているけれど、この幸せがずっと続けばいいのに、とか、きっとこの瞬間は永遠のはずだと信じ、祈ったのならば、それは真実になるのだ。「SUPER HAPPY FOREVER」にはそういう場面がたくさん詰まっている。時系列に並び替えると、佐野は凪とすてきな恋をして、けっして幸せではなかった結婚生活を送り、さいごは突然の死別で絶望の淵に突き落とされたかもしれない。劇中では佐野の再生が描かれることもない。しかし、それでも佐野はきっとこのあとも生きていける。凪との「永遠にずっとめちゃくちゃ幸せ」な思い出を忘れないでいてくれる限り、彼は大丈夫だという爽やかな後味がある。

ところで、この映画でもうひとつ大事な要素が、凪の失くした「赤い帽子」だ。佐野が古着屋の店前でたまたま拾い、1000円で買ったキャップ。店員の様子を見るに、おそらく本来は店の売り物ではなく、誰かがそこに落として行ったのだろう。佐野はこの帽子をプレゼントとして凪に被せるのだが、ざんねんながら何でもすぐモノを忘れる凪は、その翌朝に浜辺を散歩する途中で失くしてしまう。佐野は5年後にこの土地に戻ってきて、どこかにあるはずだと探し回るが、当然、見つかるはずがない。じつは凪との約束を守って、ベトナム人の清掃員の女性が、どこからか拾ったその赤い帽子を大事に被り続けていたのだから。

佐野と凪がたしかにこの場所で大切な一日を過ごしたという証を、そうとは知らずに、大事に守っている人がいる。僕らはそうやって複雑に絡み合って生きている。もしかしたら凪にとっての「赤い帽子」のようなものを僕はこの日本中のあちこちに落としているのかもしれないし、あるいは、僕がたくさんの誰かが生きた証を知らず知らずのうちに受け取っているのかもしれない。もし僕がある日突然この世からいなくなったとしても、僕のカケラみたいなものはあちこちに散らばって存在し続ける。世界はこういうふうに回っているんだと思うと、なんだかロマンチックで、うれしくなる。

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