女子校の思ひ出③
高校を卒業して何十年もたった。姪の中学受験のパンフレットを読んでいたら私の母校は偏差値32だった。
茶髪、ピアス、携帯電話、指定以外のセーター、男子校のスクールバッグ、運転免許、バイト、男女交際全て禁止だった。
陸上部だった私は休憩時間に水分補給したら顧問に怒られた。水分補給がいかに大切かも理解していない顧問だった。
学食もなくお弁当持参だったが母親がイヤイヤつくる弁当はおかずの汁が白いご飯にくっつき半分以上捨てていた。
今考えると、学食もない、冷蔵庫もない、電子レンジもない中よく弁当の食中毒が起きなかったと思う。正々堂々と正門から昼休みにコンビニにいき戻ってきたら待ち構えていた生活指導のおっさんに見つかりしかられた。
偏差値30の学生の進路は半分は女子大生やりながら水の人になり、数人は風の人になり専門雑誌に載り目ざとく見つけた子が一斉メールをしていた。風から女優になる子もいた。
いつだったか、私はその過去を捨てた。
私は誰よりもいい大学にいく。
そう決めて浪人を経て国立大学に行った。
今思えばあの下らない学歴コンプはなんだったのか。水だろうと風だろうと誠意をもって仕事をするならいいのではないか。
社会人になりお金を稼ぐ大変さを知ってそう思うようになった。そもそも大学もたまたま知ってる問題がでたから受かっただけだった。
今月の頭に経営者のパワハラにより会社を一斉退職したことにより、学歴とか仕事とかそういうことより、もっと大切なこと。この人と一緒に仕事したいとか、この人を尊敬するとかそういうことがいかに大切かを知った。
偏差値は高い方がいいんだけど、
大切なことはそこじゃないって分かったきがした。
経営者のパワハラをどうにかしようと従業員と何回も話し合いをしたが、経営者は聞く耳をもたず1年間で過半数以上のスタッフが退職した。話し合いなんてなんの意味もない。
人を変える事は不可能、自分を変えるしかないってことに気がついた。気が付かされた。