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【J文学】昔、文学はかっこ良かった?

昔、ブンガクはかっこ良かった。
そんな時代があったことを
最近、思い出しました。

阿部和重。
川上未映子の夫としては   
とても羨ましい限りの人だ(笑)。

それは今は横においといて、
昔、文学が「J文学」と
呼ばれていた時期がありました。

すっかり忘れていました。

阿部和重は
そのJ文学の代表的な作家でした。

他にも、町田康や、舞城王太郎、
藤沢周、赤坂真理ら
どことなくシャレた作家は、
J文学の作家として括られました。

これは、明らかに音楽の
J−POPという言葉の援用ですね。

2009年から2012年くらいが
J文学が流行った年代で、
河出書房新社の「文藝」が
その発信源でした。

さて、このJ文学という現象は、 
今、振り返ってみると、
どうだったんだろうか?

文学を、かっこ良い存在に
しようという試みは、
一応、成功していたようです。

阿部和重も、
町田康も、
舞城王太郎も、
藤沢周も、
赤坂真理も、
今は渋いスタンスの作家として
毅然とした態度で活躍しています。

それにしても、
なぜ、文学をかっこ良いものに
しようとしたんだろう!?

今、振り返ると、 
そんな風にしてブンガクを
祭りあげようとしたのは、
若気の至りにも見えます(笑)。
時代はまさに21世紀が
始まったばかりでしたね。

そして、そのムーブメントでは
どんな収穫があったのか?

あまり、あるようには感じない。
なぜなら、今、ほとんど
J文学という言葉は
忘れられているからです。 
若い世代にも、ほとんど
受け継がれていないからです。

そういえば、
文学は昔は、もっと
グループや派閥?が多かったですね。
 
新感覚派、
プロレタリア文学、
共産主義文学、
第一次戦後文学、
第二次戦後文学、
内向の世代、
ゼロ年代文学、

ちなみに、今は
文学の世界には、そうした
グループなり、組織なりは
ないようですね。

お笑いの世界にも、
一時期、「第七世代」という、
新人をグルーピングした
ブームがありましたが、
今はもう、第七世代なんて、
死語?になってますね。

やはり、ブームやら
ムーブメントというのは、
いつか醒める時が来るのが確かで、
だから、J文学も醒めました。

阿部和重の「初期代表作」集が
今月2冊、講談社文庫から
刊行されたのをきっかけに、
J文学とは何だったか?
ぼんやり考えてみましたが、
町田康の歩みの独特さは
J文学と関係があるかどうか
分からないけれど、 
ユニークであることは確かです。
そういう意味では、
阿部和重の歩みの独自性も
他にはいないことは確か。

ところで、最近は
本屋大賞に選ばれるタイプの
小説というのが、 
ここ数年、似た傾向の作品ばかりに
なってきました。
凪良ゆう、町田その子、
青山美智子、一穂ミチ、
小川糸、伊与原新、小野寺史宜、
こうした、優しさをめぐる
生きづらい人びとの癒し追求物語が
ワンパターンになりつつある。
こうした中、そうした作家たちから、
頭を一つ二つ抜けているのが、
原田マハや、瀬尾まいこか。

アメリカやフランスには、
こうしたウエットな文学は
あまりないでしょうね。

そこへ行くと、
J文学と呼ばれた作家たちは
ウエットにはならないで、
みな独自の世界を貫いていますね。

嫌いじゃあないなあ、
J文学作家たちは。
毅然とした道を拓いていく人たち。

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