【本文】努力と没頭の違い
先日の「努力と没頭の違い(概要)」にて、思っていた以上に「❤️」を押して頂き有難い限りです😊
一定数以上の「❤️」が集まりましたので、本文を書かせて頂きます!
■はじめに
最初に努力と没頭について、「僕の中ではこんなふうに捉えています」と定義した上で、努力と没頭の違いをお伝えできたらと思います。
■努力とは
意識が自分にある状態で何かに取り組んでいること。
わかりやすい例は持久走。「辛いな、苦しいな、ゴールまで後どれくらい?、今何分走った?」
そんな感じの意識で取り組んでいる時が努力だと定義します。
上記の例では、一見すると走ることについて考えているように思えますが、意識が自分にばかり向いていて「走ること(技術)」に直結するようなことは考えられていません。
■没頭とは
意識が目の前の取り組みにフォーカスされている状態。
先ほどの持久走の例で例えるなら、「どういう呼吸が楽に走れるか?、重心の位置は?、1歩の歩幅は適切か?」といったことを考えながらの取り組みです。
このときは「走ること(技術)」に直結する内容を考えているので没頭していると定義します。
■努力と没頭の違い
努力と没頭の違いは大きくわけて2つあると思っています。
①成長グラフの違い
努力による成長は時間に対しておおよそ決まった割合になっていきます(*個人的な意見です)
スポーツでいうところの体力(スタミナ)は、努力による成長のわかりやすい例です。
トレーニングの時間に比例して体力もある程度一定の割合で伸びていきます。
一方、没頭による成長は努力と違い、比例グラフのように直線的ではありません。
意識を目の前の取り組みに向けていく中で、技術の核心(コツ)をつかめるような瞬間があり、そのときに急激に成長していきます。
ほとんどの人が経験したことのあるケースで言うと、初めて自転車に乗れるようになるまでの練習が没頭に近いと思います。
とにかく自転車に意識を集中して、どうやったら転ばないかを真剣に考えて、コツを掴んだ瞬間にいとも簡単に乗れるようになる、そんな経験です。
努力している最中でも技術の核心(コツ)は掴めるのでは?と思う方がいるかもしれませんが、意識が取り組みに対してではなく自分に向いている(頑張っている)ときはそのコツを見落としている場合が多いです。
②心的ストレスの違い
努力しているときは、意識が自分にフォーカスされているために、「自分は頑張っているんだ」と自覚しながら取り組むことになりがちです。
「頑張っている」時間は多くの人にとって辛くて苦しい時間であり、その努力が思うように結果に出ないととてもストレスを感じます。(頑張ることが好きな方は例外です)
一方、没頭しているときは目の前の事に意識をフォーカスしているので、自分の感情を切り離して取り組みを進めることができます。
自分への意識が薄らいでいる分、ストレスも感じにくく、没頭している感覚(没入感)が逆に心地良かったりもします。
没頭においては、辛い・苦しいといった感情から解放されているので、努力と違って継続もしやすいのが没頭です。
■没頭のパラドックス
ここで注意しておきたいのは、「没頭しよう!」と思って取り組むと、意識が自分の中に向いてしまうために、目の前のことに集中できなくなるというパラドックスが起こる事です。
没頭する際には、目の前の取り組みに対して「どうやったらもっと上達するか(効率よくできるか)?→こうやってみよう→もっと上達するには?」の自問自答を淡々と繰り返すことが大切です。
■なぜ努力がもてはやされるのか?
▼努力と没頭がごちゃ混ぜ
世間一般で努力がもてはやされる理由は、そもそも努力と没頭をごちゃ混ぜにして考えてしまっているというのが一つ挙げられるかと思います。
トップアスリートや成功者の話の中に出てくる『努力』といく言葉が、実は「没頭」のことを指しているのに、明確に定義づけされていないせいで「努力」という言葉に集約されてしまっているケースがあると思います。
▼側から見ると努力も没頭も同じに見える
努力と没頭の違いは、当人の意識がどこにあるかの違いです。だからこそ、第三者から見たときにどちらも努力しているように(頑張っているように)見えてしまいます。
当人自身もどこに意識を向けているのかを考えずにトレーニングしている場合もあるかもしれません。
意識の問題なので客観的にはその違いが見えないという事実が、努力は必ず報われるといった名言のように、努力至上主義的な考え方を生み出しているのだと思います。
■努力は続かない
努力(辛い・苦しい頑張り)が好きという例外を除いて、基本的に努力は長続きしません。
無理に努力を継続したとしても、その先に待っているのは燃え尽き症候群やオーバートレーニング症候群といった心の疲弊です。
努力(頑張り)は基本的には続かないものと仮定して、ここぞという場面で局所的に使うのがオススメです。
■まとめ
ここまで努力と没頭の違いについて定義をした上でそれぞれ特徴を説明してきました。
散々努力に対してネガティブな発言をしてきたので勘違いしてしまう方もいるかもしれませんが、決して「努力は悪だ!」と言いたいわけではありません。
とりわけスポーツの場面では努力でしか伸ばせない能力(例えば筋持久力など)もあります。
ただ、没頭することが重要な取り組み、もしくは没頭する方がもっと効率がいい取り組みに対しても、量的な考え方でとにかく努力すればなんとかなると言った考え方で、取り組んでしまっているケースは多いのではないでしょうか?
自分自身のことに限らず、何かしらの取り組みに没頭している人に対して、ヨコヤリを入れて意識を逸らしてしまい、相手の成長機会を奪ってしまうこともあるかもしれません。
(学校の部活動のように、指導する側される側の立場が明確な場面に多く見受けれるとと思います)
大事なのは、努力だけに頼らず、目の前のことに没頭していく感覚を身につけることで、疲弊せずに継続していくことだと個人的には考えています。
この文章を読んで、明日からのあなたの取り組みに少しでもポジティブな効果が現れたら嬉しい限りです。
最後まで読んで頂きありがとうございました🙇♂️
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