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女1人、24歳で一軒家を建てた元芸者の母

子供の頃の母との思い出はあまりない
前にも書いたが、3歳までは一緒にいたらしい(三つ子の魂百までの理由で)
あとは祖母と義理の祖父と3人暮らし
一緒に暮らしたのは小学校3年生から

優しくて厳しい母であったが、母自身も複雑な家庭環境で育ったせいか我が子といえど、どう接しって良いかわからなかったのかも
一緒に暮らした(母と2人暮らし)と言ったが、夜はクラブのママをやっていたので18時過ぎにはタクシーを呼んで関内の店に行ってしまう
私は、夕食は当時近くのレストランで1人で食べていた
現金は持たせてもらえずツケ払い

そんな母は栃木県で産まれ、小学校入るまでは栃木県
その後、祖母1人に連れられて横浜にやって来た
正直、母はあまり過去の事を話したがらない

ただ、祖母から虐待ではないが辛かった事を時々語る
一度、根掘り葉掘り聞いてみようと思った
かなり辛い目にあったようで、詳しく聞いたらキレてしまった

なので過去をうまく語れないので、箇条書きにする

・小さい頃、祖父と祖母が離婚して祖母が引き取る

・横浜に引越してくる

・祖母の男友達の所に転々とする

・貧乏はしていたけど小学校の頃は楽しかった様子

・育ての父親の1人にコックさんがいて美味しいフレンチトーストの作り方を習っている

・アメリカに住んでいたおばさんから英語を習う。日本で習う英語の発音はおかしいといわれる

・よくわからんが、近所?に彫り師の初代掘よしがいて、夫婦共々から可愛がられ、周りからは母は実の娘だと思われていたらしい(この初代掘よしの奥さんである、掘よしのばあちゃんはとても子供好きだったからであろう。私の子供もえらく可愛がってくれた)

・テキ屋の親分をしていた実の父に会う。知り合いのおばさんが会わせてくれた。初めは祖父に何も言わずに幼い母が商品を欲しがるが金がない。お金が無いと買えないと言われる。おばさんが「この子はあなたの娘だ」と伝えると「なんでも持っていけ」と言われる。それから実の父である祖父と交流する事に。

・学生時代は叔母と共に繁忙期にテキ屋家業を手伝わされる。ひたすらワタアメ袋のゴム縛り。祖父と叔父は絵も描いていたので、筆を洗うなど。

・祖父から「テキ屋の食べ物は絶対食べるな」と言われるが、買って食べてしまう。

・中学卒業はする

・詳しくは知らないが置屋の娘と言っていた

・京都でいう舞妓さん。関東では違う呼び名である半玉。横浜日本橋では母が唯一だったらしい

・半玉から芸者になる
・中学の時に半玉?卒業してから芸者?

・とりあえず20歳前から芸者一筋

・祖母が893の親分に母を嫁にしてやってくれと頼む(子供の頃から知っていているから女として見れないと断られる)

・男共は「右向け!」と言ったら全員向いたとの事

・実の父だけ、言うことを聞かない男だから、一緒になったと

・正月?の時のご祝儀を数えるのが毎年楽しい



・稼いでるも祖母が、あちこちに借金して肩代わり?

・毎月銀行に毎月100万円を貯金しに行って女で一つで24歳の時に家を建てる

・実の父、借金だらけになり母からも1000万借り縁切れる

・他の男性からお世話になっていたが、義父の猛烈アタックと隣人新築マンションの日照権トラブルで大変頼りになる事がわかり一緒になる事を決める(私をとても可愛がってくれたのも一つ)


・私が小学校低学年の時に義理の父からか出資してもらい、クラブのママになる

・後半は祖母の借金は払わず、払えないの一点張り

・店に借金取りが押し寄せても、隣のビルで義父が麻雀していたので安心(実際には来なかった)


とりあえず、子供の頃は貧乏で祖母に引きずりまわされて、波瀾万丈だったみたい
かなりの苦労はしているが、皆に愛され、金運もあり恵まれている所も多いにある





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