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#26理学療法士の中国リハビリ記録【生後8ヶ月の泣き虫リー君リハビリ奮闘記】その3

リー君の家での訪問リハビリが始まってから月日が流れた。その間、彼は少しずつ成長し、変わっていった。

さらに少し食欲が出てきたリー君。まだ吸引の力が弱いので、僕はピジョンの哺乳瓶用乳首を数種類用意して、いろいろと試してみた。

結果的に道具より、祖母や僕の指を気に入ったようだ。医療用ゴム手袋やガーゼを使って、口や口腔マッサージなどにも取り組むと嬉しそうに笑う。その時の笑顔は、まさにエンジェルスマイルだった。

最初は僕の顔を見るだけで泣き叫んでいた彼が、僕を見て笑うようになり、僕の声に耳を傾けるようになった。おもちゃを使った遊びの中で、体の動きも柔らかくなり、初めて見る表情を何度も見せてくれた。

家族もまた変わっていた。疲れ切った表情ばかりだった両親と祖父母は、リー君の変化に希望を見出し、笑顔が増えていった。彼が笑顔になると、祖父母はここぞ!とばかりに写真を撮った。

家族全員が彼の成長を見守り、サポートしていた。

だが、そんな平穏が訪れるほど、次の課題も見えてきた。リー君の発達の遅れがはっきりしてきたのだ。特に体の動きに関しては、訪問だけの限られたリハビリでは十分ではないことを痛感していた。

家族もリハビリの可能性を感じ始めていた。彼の可能性を広げるためには、より高度な治療が必要だった。加えて、てんかんも併せ持っていたリー君。医学的な管理も不可欠だ。

だが、中国の医療事情は簡単ではない。有名な病院や専門施設は常に混み合っており、予約を取るのも一苦労。それでも、リー君のためなら、と家族はすぐに行動を始めた。

家政婦さんと仲良しのリー君。家政婦さんが音読すると、
喃語とまではいかないまでも、声を出して笑ってくれた。

それから数週間後、父親から一通のメッセージが届いた。

「北京の専門病院に予約が取れました。そこでリハビリと治療を受けます」

僕はその知らせに安堵すると同時に、少しの寂しさを感じた。リー君との日々が終わりに近づいていることを実感したからだ。

家族は北京の病院で彼を入院させ、専門的なリハビリとてんかんの治療を受ける予定だという。これ以上ない決断だと分かっていても、心のどこかで彼が遠くに行ってしまうことを惜しむ気持ちがあった。

少し複雑な気持ちはあったけれど、僕は別れの挨拶をした。

「リー君が新しい場所で成長することを願っています」

春節の開けた3月ーーついに最後の訪問の日を迎えた。僕はいつものようにリー君のそばに座り、おもちゃを使って彼と遊んだ。関わり初めて、気がつけば長いようで短い6ヶ月。今この瞬間、彼の小さな手が僕の手を掴むたびに、これまでの思い出が走馬灯のように駆け巡った。

これが最後かも……そう思うと、言葉にならない感情が押し寄せた。

「また会えるよね」祖母が言った。

僕は微笑み、リー君の頭をそっと撫でた。

「また…。きっとまた会えます……。きっと」

医療者として『また会いましょう』ということには、ためらいがある。それは僕が資格を取って間もない頃に受けた教育の名残りだ。退院する患者さんに対して、『また会いましょうは、ないでしょう』というもの。それが僕には染み付いてしまっている。

でも、今回の『また』は、友のような気持ちから出た言葉だった。

数日後、家族はリー君を連れて北京へ向かった。

その後、リー君の家族から二度の連絡が来た。北京の病院でのリハビリは順調で、彼は少しずつ新しい環境に慣れているという。専門的な治療の効果もあり、彼の発達は着実に進んでいるらしい。

僕は彼の成長した姿をこの目で見られる日を、心から願っている。いつか彼が自分の足で立ち、自信を持って歩き出す日が来るかもしれない。

リー君の泣き声に始まったこの物語。
病気を抱えているけれど、彼の進む向こうには、彼の未来へ続く道が広がっている。泣き声の向こう側に見える景色が、明るく温かいものとなる。僕にはそんな風に思える。

だって彼は本当に、本当にみんなに愛されているから。

【おわり】

最後のリハビリの日。泣きそうになると、笑い出す。
笑っていると泣きそうになる。
それも今日が最後かも。彼の笑顔が心に残る。

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JUNYA MORI
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