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〈#2中国リハビリ記録〉理学療法士の僕が出会った最初の患者さん

中国で出会った最初の患者さん

李明(リ・ミン)は、40代半ばの男性で、初めてリハビリの相談に訪れたときから、どこか心に傷を抱えているように見えた。彼の視線は一点に固まり、その視線はまるで僕の後頭部を見ているかのようだった。

中国で理学療法士として働き始めた僕が出会った最初の患者だ。身体と心の問題が絡み合っているケースは稀有なわけでもない。それなのに、なぜだろう。おそらく相手は異国の人だという僕の先入観が、そうさせたのかもしれない。

僕の仕事は、身体機能を回復させるためのサポートが中心だが、それだけでは解決できない問題もあることを感じ取った。

彼が訴えたのは右手の震えだった。話を聞くと、最近仕事が忙しく、長時間の労働が続いているという。

「仕事が大変で…。貧しいからとにかく稼がなきゃいけないんです。でも、手の震えが出るようになって、これじゃ働けない」

李明はそう話しながら、震える手を見つめていた。その表情には、疲れだけではなく、深い不安が漂っていた。震えは、過労が原因とも考えられるが、どこか引っかかるものがあった。

まるでパーキンソン病の初期症状としても考えられるような震戦、それだけでは説明できない要素もある。彼の手の震えは、過労のせいか、心因的な要素か、もしくはその両方か。

李明とのリハビリ

僕はまず、身体的な側面からアプローチすることにした。

初回のリハビリでは、彼の生活スタイルや姿勢、筋力バランスを確認し、簡単なエクササイズを提案した。筋力を整えることで震えの改善が期待できるケースもあるからだ。

また、次のステップとして、交代浴を試みることにした。交代浴は、温水と冷水を交互に使用することで血行を促進し、神経の働きを整えるリハビリ方法だ。これは、海外のリハビリ研究でも効果が示されており、中国ではあまり試されていない方法だった。

交代浴を取り入れた後、わずかではあるが、震えは一時的に和らいだ。しかし、それは根本的な解決には程遠かった。リハビリの合間に李明と話す中で、彼の言葉の端々に、心の奥に隠れた痛みを感じるようになった。

「最近は家族との時間も取れず、妻とも口数が減ってしまって…。疲れ果てて、帰ってから何もする気が起きないんです」

彼の言葉には、心の深い部分での孤独感や焦りがにじんでいた。震える手は、その心の状態を反映しているように思えた。

僕は彼の身体に寄り添いながらも、心の問題にもアプローチできればと感じていた。しかし、理学療法士として私僕が提供できるのは、指示通り身体のケアだった。

中国に来てから学んだのは、文化や社会の背景によって、患者が抱えるストレスの種類も異なるということだった。彼が置かれた状況や仕事でのプレッシャー、社会的な期待が、彼の心に大きな負担をかけているのだろう。

リハビリを続ける中で、彼の笑顔を見ることもあったが、その笑顔の奥には深い悩みが隠されていることを僕は感じていた。彼は感謝の言葉を口にしてくれたが、その背中を見送るたびに、僕は靴に入った小石のような違和感を覚えていた。

リハビリを通じて、彼の震えを完全に改善できなかったことへの無力感。そして、彼の心の傷に寄り添えないことへのもどかしさが胸を締めつけた。

悔い、そして誓い

最終的に李明は、リハビリを中断する形で通院をやめた。その後どうなったのか、私には分からない。彼が見せた最後の笑顔には、感謝とともにどこか諦めのような表情が浮かんでいた。

僕は理学療法士として、身体の回復を支援することができても、心の痛みには手を差し伸べられない自分の限界を感じた。

日本で理学療法士として働く中で、多くの患者と出会い、さまざまなリハビリの方法を試みてきたが、身体と心が密接に関わっているケースに対して、どうアプローチすべきかを深く考えさせられる。それは国が変わっても同じだ。

李明の震える手と、その裏に隠された心の傷。その両方を癒すには、身体だけでなく、心に寄り添えるリハビリの在り方をもっと模索しなければならない。

彼のことを思い出すたび、僕の心には何か未完成なものが残っている。中国という新しい環境での挑戦の中で、李明のような患者に再び出会ったとき、今度こそ彼らの心と体に同時に寄り添える、そんな理学療法士でありたいのだけれど。

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JUNYA MORI
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