シルクロード
浄土三部経のひとつ(というか、メイン?)である「無量寿経」の漢訳文の冒頭には、「曹魏天竺三蔵康僧鎧訳」と翻訳者のクレジットが記されている。
これはつまり、「曹操が建国した魏の国で、西方渡来の康僧鎧という坊さんが訳しました」という意味なのであるが、この「康」とは「康居国」の略であり、すなわち楼蘭より遥かに西のシルクロード国家である「サマルカンド」の出身であることを表している。
そして「僧鎧」とは意訳であり、本名は「サンガバルマン」なのである。
地図で調べてみたのだが、サマルカンドは現在のタジク・ウズベク・キルギスの三国の境界にあり、見事にシルクロード都市であることが確認できた。
※下図の緑のA地点
そして、彼は洛陽に滞在して翻訳作業に励んでいたらしいのだが、それはつまり、上図の緑のB地点である。
参考まで示してみたが、上図赤のA地点が鳩摩羅什ことクマラジーヴァの出身地である亀茲国ことクチャである。(彼は地点Bの左下にある長安(現西安)で翻訳作業に従事していた)
シルクロードは、サマルカンドからクチャを通過して洛陽に至る。
航空写真で見るとこんな感じである。
中央に崑崙山脈がそびえ立ち、広大なタクラマカン砂漠が行く手を阻んでいる。
ちなみに、タクラマカンとは「生きて帰れない」というような意味である。
クチャから長安まででおよそ3400kmぐらいのようなので、サマルカンドから洛陽までは実に5000km近くあることになる。
・・・どうやって移動したんだ? ラクダを連れた砂漠の隊商と一緒にか?
お経の内容以前にその根性と体力に脱帽である。
余談だが、西遊記の登場人物として有名な玄奘三蔵は、砂漠ではなく3000m級の山岳地帯を通る通称「天山ルート」を辿り、大量(約700巻)の経典を担いで帰ってくるという脅威の健脚ぶりを見せつけた。(「聖人」というよりは、「鉄人」と呼ぶべきだと思う)
西遊記ではナヨナヨとした女みたいな描かれ方をする玄奘三蔵法師は、その実、屈強なアスリートだったのである。
以前どこかで「玄奘帰還」というタイトルの絵を見たことがあるのだが、そこには、身長よりも長い背負子に巻物を満載してドスドスと歩むマッチョ極まりないオッサンの姿があり、「・・・そりゃそうだよなぁ。」と心底納得したのであった。
サマルカンドの男、サンガバルマン。
彼はなぜ、はるか東に向けて旅立ち、そして「西方十万億土を想え」という内容のお経を訳出したのだろうか?
「遥か彼方、夕陽の落ちるところに幸せの国がある」というのだが、あるいはこれは、阿倍仲麻呂が「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」と詠んだのと同様の心境だったのかも知れないな、などと思ったり。
興味は尽きない。
2011年01月23日記す
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