中国破綻は夕張財政破綻の拡大コピーだ
僕がアメリカに住んでいる時、当時の中田鉄治夕張市長から頼まれて、アメリカやヨーロッパのリゾート、町おこし事例のレポートを半年間提供した事がある。そのレポートや写真を利用して政府から莫大な補助金50億円をせしめたと感謝されて、お呼びがかかり2度ばかり夕張市を訪問した事がある。
一度は、アメリカから千歳空港に10月上旬に到着。1泊2日の短い予定を組んで訪問した。その後中国に向かった。何故か夕張市調達のヘリコプターでお出迎え頂き、空中から夕張市周辺を上空から視察。そして宿泊施設に到着するや芸者さん達が待機した百名ほどの宴会に主賓として案内された。たかだか100ページ位のレポートでこんな歓待をされるとは驚きでもあり、僕のレポートが余程効果的だったんだと妙に感心していた。レポート代金は100万円だったが、こんなお祭り騒ぎをしてプロジェクトが進むか不安だった。
2回目は、3月中頃の僕のジェットスキー仲間と6か月後に訪問すると約束。地上から中田市長が推進されているリゾート計画を数日間にわたって調査見学したいと申し入れ、無用な接待はお断りして独自に動き回った。事前に質問事項を10ポイントお渡ししておき、到着時に返答いただく事と、それ以外に特段依頼した事は夕張川を3時間くらい封鎖していただきジェットスキーゲレンデが出来るか水上走破させてもらう準備をお願いした位だった。
1回目は、30分ほど中田鉄次市長の壮大なる炭鉱の村から国際観光都市への転換のビジョンを宴会場でお聞かせいただいたが、周りの助役さんや課長さんは、すでに芸者さんを傍に呼びご満悦だった。僕は酒が余り飲めないのでぼそぼそと食事を済ませ明日、夕張市役所で2時間位レクチャーを受ける約束をして、宴会場から部屋に戻った。若くてハンサム?な僕には複数の芸者さんから後でカラオケバーに行こうとかお誘いを受けたが全てお断りした。
翌日、市役所からのお出迎えの車で夕張市役所に向かい、夕張市の国際観光都市へ転換のマスタープランを見せて頂いた。炭鉱跡地は石炭の歴史村というミュージアムを作った事。未来志向ロボット博物館が建築中な事。マウントレイスイリゾート開発に松下興産が参加しており既にホテルが建設されている事等を縷々、総務課長さんから説明を受けた。僕は空中からマウントレイスイスキー場を観ていたが、主ゲレンデは南緩斜面でありスキーリゾートとしては評判は取れないし、ソフトが大事だと言ったが怪訝な顔をされた。
お昼過ぎには千歳空港に夕張市長社用車で送っていただいた。車はセンチュリーだったと思う。僕は次回6か月後に夕張市に行って、国際リゾート都市成功の可能性について厳しく精査して、今後継続して夕張市にレポート提供をしたりアドバイスを続けるか、お断りするか判断する積りだった。僕のレポートが国からの補助金獲得の為のみ利用され、過剰な債務の原因になっているのなら、今後の業務を全てお断りすると心に決めていた。
翌3月に夕張市を僕のジェットスキー仲間と訪れて、僕の悪い方の予感が的中した事に愕然とした。ジェットスキー仲間は氷の残る夕張川をゲレンデとして走破する事に興奮していて僕の暗い気持ちが判らない様だった。僕が主に夕張市にお願いしていた事は、新しい各施設をゆっくり見学する事。炭鉱跡と炭鉱被害者のお墓巡りをする事。夕張市の独自の売りの食事を食べる事。そして大型イベント開催会場候補地を見る事。そしてジェットスキーゲレンデを走破する事だった。初日は2つのミュージアムを見学。2日目は炭鉱と墓参り。3日目はジェットスキー仲間の期待の夕張川走破だった。
初日に行った2つのミュージアムは残念ながら、欧米やアジアのお客様に喜ばれるレベルの展示物では無かった。施設は張りぼてで館内食やイベントも貧相だった。この様な設備に50億円以上もかけたと到底思えなかった。甘い管理で施工業者にボッタクられたとしか思えない代物だった。僕のレポートは殆ど生かされず国からの補助金獲得の為に利用されたんだと茫然とした。
2日目にお参りに行った炭鉱殉職者の墓地に行って、不安が的中した。日本人の殉職者の墓地は綺麗に手入れされていたが戦前に強制労働に近い形で働いていたであろう韓国人や中国人の墓はぺんぺん草が生え荒れ放題だった。
僕は、市の運転手に『国際観光リゾートなら外国人の墓を心から手入れしないと来られた外国人はがっかりしますよ』と言ったが反応は全く無かった。
夕張市は上から下まで補助金を詐取する事に狂奔し、お客様に奉仕するという精神が麻痺していた。こんな考えでは国際観光都市なんぞ出来る筈がない。可能性を秘めた夕張の歴史や自然や市民を生かさず、呆けている市長を始めとする職員。その破滅の手伝いを結果的にしていた自分を恥じた。
3日目にマウントレイスイリゾートに行き、夕張川で3人の仲間でジェットスキーを楽しんだ。僕はスキーゲレンデは外人を呼べる代物では無いと確信していたので流れの緩い少しカーブのある夕張川を通年のジェットスキーゲレンデにすれば人気が出ると考えていたのだ。ジェットスキー仲間は興奮して走破していたが僕は何故か涙が止まらなかった。夕方、こじんまりしたジンギスカン料理と夕張メロンを食べ、マウントレイスイホテルに泊まった。部屋はビジネスホテル並みに狭小だった。僕は翌朝、夕張市役所に行って感謝の意を述べ車で帰路についた。爾後、僕は夕張市には一切関わらなかった。
2003年 中田鉄治市長は退任され癌で同年逝去され、後藤健二市長が跡を継がれた。既に600億円以上の債務があり半分以上の返済不能債務があった。
600億円の債務の内、夕張市の実質資産は精々50億円程度だろう。中田市長とその取り巻きが浪費したお金は、飲食饗応資金や僕へのコンサル代も含めて100億円以上だろう。僕が見切りをつけた爾後、毎年、夕張ファンタステイック映画祭(ホラー映画中心)が開催された。しかし真面な遺産はバカ高い夕張メロンだけだ。外国人の憧れ、ニセコ等の国際リゾートと比べ、夕張市は気の遠くなる様な借金とお荷物のオンボロミュージアムが残り、財政破綻して鈴木直道市長に引き継がれ改善されたが、塗炭の苦しみの中にいる。
僕が、あの時、夕張市を見限らず中田市長と直談判して夕張川を日本一のジェットスキーゲレンデ(ジェットスキーの世界大会はコロラド川下流にある人造湖 レイクハバスで毎年開催されている。僕も一度参加している)に導き、2つのオンボロミュージアムを破壊して日本最大のジンギスカンハウスと屋内夕張メロン観光農園にしていたら、そして夕張炭鉱の外国人殉職者を丁重に弔っていたら、それこそ夕張は中田鉄次市長の思い描いた国際観光都市になって居たと思う。正に天国と地獄だ、消えた600億円が悔やまれる。
さて中国のあらゆるところの破綻は夕張市の財政破綻と規模は違えど同じだと考えている。僕は中国とはCCTV中央電視台の歴史ドラマ『三国志演戯』の日本と韓国でのソフト販売権を買っただけだ。だけどCCTVのデイレクター数名を日本で接待させられた時の悪い印象から、僕の中国観は変わってしまった。正当なソフト料金を払ったにも拘らず、日本では神戸ビーフを食べさせろ。日本の若い女を紹介しろ。おこずかいをよこせ。再三再四の賄賂供応要求。国家公務員の矜持や恥じらいは微塵もなく醜いタカリの連続だった。
分を超えた借金。センスの無い設備投資。精度の低い仕事。そして日本からの多くの投資と技術援助にも拘わらず排日キャンペーンを繰り広げる始末。日本に対する感謝が無い。日本の領土や資源まで奪取する勢い。馬鹿な媚中政治家はこんな変質し堕落した中国にどうして遠慮しているのだろうか。
中国の国と地方自治体の債務総額は日本の債務総額1500兆円の20倍、3京円とも言われている。日本は馬鹿な公共投資1000兆円を除けばまともな資産500兆円と国際競争力のある会社や技術が残っている。しかし中国には投げ出したコンククリートの塊の建物と日本から盗んだ中途半端な技術と精度の低い商品しか無い。まともな資産は精々1京円程度だろう。中国産として売れるのは汚泥で育った上海蟹位か。夕張市の夕張メロンの方がまだましだ。