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愉快なる晩年 玉村豊男氏との邂逅

本屋で立ち読みしていたら週刊現代に玉村さんの事が取り上げられ驚きました。今から遡ること20数年前、玉村豊男さんとフランス関連でお目にかかった。長野県東御市(昔は東部町)のご居宅と代官山のお宅と行ったり来たりされていた頃で、同地にワイナリーを始めようと考えられていた頃でした。
代官山のお宅では庭に咲く桜をご家族の一員の様に愛でさせて頂きました。
あの頃の創造的な玉村豊男さんとの時間は、僕の豊かな財産でもあります。

お子様が居られない玉村さんは、当時は男性スタッフが居られなくて、長野のお宅の暖炉に、くべる薪割りに怪力の僕が重宝らしくお呼び頂いて一緒に料理を作りました。同時に日本にオーベルジュヴィラージュ(オーベルジュ村)を作る構想も玉村さんと一緒に考えて、フレンチのマンジュトウー経営の谷昇さんにお声を掛けたりと、中々、創造的な日々を過ごしていました。
ひょんな事からタイ料理店を始めましたが、僕の夢はまだまだ健在です。

20数年前のワイナリー創業の頃は、敷地も数千坪で収穫もメルローとシャルドネ、各々3000~4000本の収穫量でした。何と今や作付面積は3万坪になり、収穫量も10倍の30000本以上の中堅のワイナリーに成長されています。昔から玉村豊男さんはワインや美食について、本物志向で一切の妥協を許さない方で新興ワイナリーながら日本政府のサミット等のオフィシャルワインを提供されるフラッグシップワイナリーになられているのも当然でしょう。

玉村豊男さんは元々は、エッセイストでありボタニカルアートを主とする絵を描く芸術家でもあります。お身体を労りながら豊穣の時間を空気の澄んだ長野で過ごされつつ、気候と土壌と葡萄とのメリタージュであるワインという最高傑作を創られている訳でこれほどの愉快で至福の時は無いでしょう。僕も晩年は様々なタイハーブやフルーツに囲まれながら玉村さんの様な愉快な時間を過ごしたいと意を決しています。また一緒に料理を作りたいです。

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