Visions of Trees
夜、暗いピントガラスにむかって、冠布をかぶる。外界よりなお暗い囲われた空間のなかで、ようやく木の輪郭を見つけ出す。
冠布の外の人たちにとって、僕のしていることは不可解に違いない。雑踏の中で黒い布をかぶって、いまどき写真館でも見ない蛇腹のカメラで街路樹にむかっているのだから。
「何してるんですかー」、と当然よく話しかけられる。何気ない質問。酔っ払いの絡み。職務質問。激励、苦情、はたまた怪しげな売人までがよってくる。最初はそれが嫌でなるべく避けていたけれども、あるとき気がついた。
撮影のとき、僕はいささかなりとも木の世界の側にいるとおもっている。けれどもその世界に溺れてしまうのはどうだろうか。そんな時、ひとから「あなたは誰」と問われると、僕は自分の立っている位置をはっきりと知ることが出来る。それは木と人間、あるいは客観的現実と内的な現実の「はざま」に立っているということだ。「はざま」にいるからこそ両方の世界を結ぶものが出来るのではないだろうか。
暗室の水洗桶のなかで、紙の繊維にたっぷりと水をふくんだプリントがゆらゆらと揺れている。そこに二つの世界が何ともいえず写しとられているのを運よく見つけられたとき、声をかけてくれた人に見てもらいたいなと思うのだ。
Visions of Trees
2004年6月 コニカミノルタプラザ「Visions of Trees」加筆訂正