回顧録、休職中2021②、2022①
2021年も11月、そうこの季節はからは一番好きなシクロクロスシーズン。
そりゃ今までずっと行ってたし行きたい気持ちは物凄くあった。
だけど世の中がね・・・、そんな時代。
当然前年同様に烏丸半島のシクロクロス観戦に出かける、勿論ドネーションピンバッジも。
この頃になると少しは歩けるようになるけど、気を抜くと”しりもち”なんかはある。やはり平衡感覚がないのがきいてる、目線がまだ上げられない。
どうしてもこういう所では声をかけてもらったりするから要注意。
でもドンドン声掛けてくださいませ♬、すぐに返事はできないかもだけど。
この月は念願のガンダムベース京都に姪っ子甥っ子と行ったりした。
僕は東京の方には良く行ってたが、姪っ子甥っ子は吹田のカフェ、梅田のポップアップストアくらいしか知らなかったから物凄く良かったみたい。
かく言う自分も久しぶりのこういった場所に心踊った。
ましてやプラモデルが変なブームのせいで買えなくなってきたので子供目線ではワンダーランドだっただろう。
倒れる前は物凄く選び放題だったのに・・・。
こういったガス抜きがこの不自由な身体と付き合っていくコツなのかもしれない。
また、時代背景にコロナ過でいろんなことがネット配信でってことも大きな要因だ。
夏のオリンピックやフジロックも配信があったりしたからこそ、
現地の空気はさすがに無理だけれど雰囲気を味わうことはできる、
それにほぼ鎖国に近かったから外国人アーティストの来日もなく、そうしたことが日常になっていたから、身体的に不自由だけど感覚的不自由をあまり感じなかったのかもしれない。
みんな同じ様な境遇。
但しクリニックや訪問リハビリは厳しかった、二重マスクにゴーグル、訪問リハビリなんかエプロンに手甲(腕の筒)、手袋だ。
夏の凄い時期にって・・・。
訪問の時のこういった対応は何回かあった。
その度に今は厳しいんだなと感じることがあった。
クリニックでも定期的にアルコール清掃、報道が過剰とは言わないけど世界情勢を見たりしていると結構な反応しているなぁと見ていた。
入院生活の時に看護師さんからインフルエンザが一番たちが悪いって聞いていたけど、それ以上かな。
年末はそんな感じでいつもよりかはおとなしめ。
僕がこんなのもあるけど、それだけじゃない。
でも自分らしい感じでは居たい、精神的にいつもの振る舞いでいよう。
そう強い気持ちの緊張も持って・・・。
年が無事に明けて2022年、僕の休憩はいつまで続くのだろう。
例年であれば年明けすぐに北陸に行って温泉、当然自転車持って。
それは無理なのでドライブ。
雪道の歩行も体験しときたい。
結構我が家では北陸に行けば杉津(すいづ)で雲丹イクラ丼食べたりが恒例だったりしてた。
ここで退院後初めて店舗で食事をおこなった。
車椅子で店舗に入り、食事。
正月でガラガラってのもあったっけ、いつ振り?。
2月の写真も無いからリハビリにも大きな進捗はなかったんだろう。
職場訪問してみんなと一緒に写真を撮ってる。
また、関東の方からこちらに遊びに来た友達がきてくれたりもした。
もう実家へ帰るのはマスターしたが、2階へはいけない。
2階にいっぱいのコレクターズアイテムあるのに。
頻繫に実家の方に行く。
倒れる前に膝丈だったオリーブが物凄く大きく育っていた。
伸び放題のようだ。
それだけ時が経ってるってことだな。
少し前に手のスプリント(装具)を作って着けている、このスプリント、手の痙縮(けいしゅく)を伸ばすことを目的で着けている。
杖の方も大きな4点杖から小さな4点杖に変わっている。
室内では1本杖を使い始めて、室外も1本杖に変えても良いんだけど、この小型の4本杖は自立するからと都合もありまだ使用している。
この頃から食事も意識してサラダ中心にしている。
このころ基本はレコーディングダイエット。
3月末くらいから7月くらいまでSNSで公開してみんなから𠮟咤激励してもらってる。
これは、退院後車椅子生活をして太ってきて83㎏まで戻ってしまった為。
無理なく、ってか入院生活で72㎏まで落ちたのだから、何とかして落とさなければ。
食べて瘦せる、これがなかなか一般家庭では難しそう。
断食したら体重減るのは解ってるけど、まぁいい瘦せ方ではないね。
そりゃ、もともと95㎏もあったけどね。
頑張って78kgまでは戻した、これ以後はそれを絶えずモニタリングして維持。
日々の運動量からしたら維持も凄いららしいけど、そうなのかな。
倒れる前と同じ様にドライブ、但以前と違うのは僕は助手席。
このくらいの距離が歳いってきた両親にはいいか。
5月に入り、僕的には毎年地元滋賀の高島で行われているMTBレースの観戦に行っていたが、数年は流行り病の為に断念。
久しぶりに行くことにした。
いいね!、この雰囲気。
若い子が凄く速くなってる、面白い。
結構実家に帰っても普通になってきた、トイレとかには自宅のような介助バーなどが無いから難しいかなと思っていたが経験を重ねていく度に、実家での行動範囲も広がっていった。
行動範囲が広まったのは良いことだけど、そんなにウロウロもできない、
微妙。
もっと動けたらいいのに。
まだ履いていない靴が実家にはある。
少しタイトな靴なので装具を着けている段階では無理だ。
入院中に普通に歩いてそうな患者さんがまだ装具を着けているのを見てるから、自分の場合はまだまだ装具は取れないんだろうと思ってはいる。
言語のリハビリの方は4小節?の短文を読むくらいに、でも内容によっては途中で息継ぎが必要。
息の抜けるサ行、ハ行が特に弱い。
ハ行なんかはバイキンマンのセリフが脳裏をよぎりめっちゃ笑ってしまう。
笑い上戸に拍車がかかってる、この病気のせいか?。
いつもは週末になれば何処かへ出かけていたのだが、倒れてからはそんなにも出かけたりはない、でもさすがに2022ともなれば外に出るのも比較的おおくなっていった。
それでもまだ運転再開とはいっていない。
何時になったら今迄みたいに毎週の様にでかけられるだろう。
つくづく思う。