表情
この5年の歩み、どれだけ表情に出ているか見返してみた。
2019年6月3日、忘れもしない彷徨った日。
もともと自撮りもするし写真が好きな友達も多いからか、面会時の写真などが残っているのがありがたい。
一命をとりとめたのだが今でも色濃く後遺症の半身麻痺が出ている、出血した部位が脳幹の橋だったのが少し問題をややこしくしているようだ。
半身麻痺は左側に出ているのだが顔にいたっては右半分が強ばっていて、左半分が緩んでる。
頭皮がまた逆で右半分は感覚があるのに左半分は感覚がない。
そして舌も右半分が麻痺状態な為に呼吸が浅いのと相まっての構音障害である。
難儀なものだ。
この顔、頭に言及すると入院時からの変化を時折り考察する。
倒れて1ヶ月くらいは覚醒しても意識の混濁があった、当然左腕は動かないし右手も鼻のチューブを抜かないようにミトン手袋にベッドに括りつけられていたように思う。
それから1月ちょいで救命病院からリハビリ病院に転院。
自分の置かれている状況など理解、整理を出来てきているがまだ完全に吞み込めてない感じだったなと今振り返ると思う。
転院は救急車にストレッチャーな状態だったその時はどんな表情だっただろう。
この時あまり自分の身体を理解できておらず右目をこすったときに眼の表面を傷つけてしまったようで少しぼやけて見えていた、角膜に傷だったようで後日退院後改めて老眼鏡を作る際眼科で視力見てもらった時にヒアルロン酸の目薬を処方してもらった。
今ではすっかり治ったみたいでよかった。
退院まじかには体重も下がり、多少は表情にも豊かさが少しは戻ってきたかもしれない。
顔の麻痺はある程度の理解はしたが科学的な説明を自分にはされていなかった(両親にはされている)、きっと本人にはガッカリさせないような配慮なのだろう。
そして半年ぶりにわが家へ帰ってきた。
この時にはある程度表情は豊にはなってはいたが笑うと麻痺が色濃く表れた。
退院してからの1年の月日は早かった、毎週の運動のリハビリ、言語のリハビリ、脳神経外科、それにあのコロナ禍があったから。
今思えば入院時にコロナ禍が重ならないで本当によかった。
物凄く友達に恵まれみんなが来てくれたもの、それこそ病院側がビックリするくらい。
コロナ禍は時が経つのも早かった、バタバタとあわただしかった、僕の表情はどうだっただろうか?。
好きなシクロクロスも何戦かはなくなったりするくらいだもの、暗い時代だったな。
退院して1年少し保険制度の関係から運動系のリハビリは訪問リハビリに変わっていった、言語のリハビリにボツリヌス療法はクリニックで続いている、ありがたいことだ。
この頃辺りから自分の表情にも興味が出始める。
特に強ばっている顔の右側、時には低周波治療器をあててみたりとするが眼の近くもありエビデンスの知見も自分になかったので長続きはしなかった。
表情の変化に興味が出てきたのもあるが所見の人とのコミュニケーションとか、コロナ明けというかナーバスな事案も薄れてきたし気持ちとかもアップデートが必要、そりゃあ入院したことによって免疫力は低下しているところにコロナ禍だったもの。
結構その期間は人との関わりは出来るだけ避けてたのは少なからずともあったからか会話も特定の人が多かった。
意識して話すことが少なかったから自分の表情も多彩ではなかったかもしれない。
なんとも勿体ない3年を挟んだんだろう、今まで個人的に色々していってたがこれからはもっと人と接していかなければ、これまでを取り返す勢いで、
出来るだけ外の生活を送りたい。
こうして見返すと退院前後と今の顔が大きく違うのが見て取れる、確かに体重も95kgから71kg、そして現在は81kgと変化はしてるが・・・。
今の表情が強ばりもなく(表情多彩ではないかもしれないが)前よりも穏やかだ、もう少し前の表情が蘇ってくれば嬉しい。