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ブンドド

ブンドド、この響きのある言葉には当初理解がなかった、今から数年前だろうかネットでこの言葉を知って意味が何たるかを知った。

「ブーン」「ドドドドド」、1人称で幼少期のころに玩具やなんかで遊んでいた行為を指すこの言葉を知ってから「フルドド」と「ブンドド」は似てるなとも勝手に1人でクスっとしてたものである。
自分もしたことあるや、そんな気持ちにさせられる。

玩具遊び。
まぁプラモ遊びでもあるが。

フルドド

まさかこの歳になってこの言葉を知って理解するとは・・・、お恥ずかしい。
さすがにもうこの歳ではブンドドはしない・・・はず・・・w、何歳くらいからしてないんだろうと思い返せば12歳前後が記憶の最後ではないだろうか。
青年期に入る前のこの歳くらいから自分の部屋を与えられ段々とブンドドになじんでいくのだろう。
心理学上で言えば児童期から青年期の走りだろうか?それくらい、ちょうど玩具などが周囲に溢れて自我もそれなりに出てきている時期。
ちょうどこの頃にはファミコンが誕生し僕も例にもれずそれに熱中した。
また第二次ベビーブームの世代である僕は丁度ガンダム世代直球な感じでそれにも僕は例にもれずな状態だった。
溢れていたもの。
様々なインフォメーションがあった、この世代は親ががむしゃらな世代だからその二世である僕らは恵まれていたのだろう。

ここで少し疑問に思うのは同じような世代でド直球じゃない人はどんな感じだったのだろう?。
反対に僕が極端な方とすればそうでない人との差異はどこにあるのか興味が尽きない。
自覚が芽生えた頃から集合住宅で暮らしていて、今もマンション住まいの僕としては、今思うとどこの部分が色濃く影響しているのか物凄く興味がある。
前回も語ったギャングエイジの時代がこのブンドドしていた時期と重なる、これが丁度今も続くガンプラなどに影響を与えたのは間違いないだろう。
幼少期の団地生活は多感な年頃には計り知れない独特の成長を促したに違いない。

段々と成長していきブンドドしなくなっていった僕の要因は中学に入り、塾にクラブが入って来て忙しくなってきて1人で遊ぶことがなくなってきたことによるのだろう。
だんだんとギャングエイジ特有のグループが形成されていったが忙しくなってそういう機会がなくなっていくのが普通っぽい。

児童期(ギャングエイジ)でグループが形成されていき、児童期の映画鑑賞は親と、青年期に入ってくると映画やなんかは友人たちと観に行くものに、
こうして段々と成長していくのだろう。

最初に見た映画は今でも覚えている「チリンの鈴」「親子ねずみの不思議な旅」、幾年たってガンダムの「めぐりあい宇宙(そら)」。

目まぐるしく流れていった自分の10代、それでも人よりかはアニメを見たりしたのが今の自分を形成してる基盤なのだろう。
その後は情報処理に進み、車、精密機械と進んでいき最終的には産業用ロボットも扱うようになりと、成長に合わせてなんとなく自分では整合性があってるなと感じる。
今では作ったプラモデルやフィギュア等のポージングさせるのが限度だがそれが幼少の時のブンドドの名残なんだろう。

いつの日かこうやって掲げたいものだ


たまにこうして自分の成長の記憶を思い返してみるのも面白い、自分の成長過程が振り返れる。


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