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母の思い出

 今月に入って間もなく母が旅立ちました。
平均寿命より少し早く人間を卒業してしまった母の思い出を少しだけ語りたいと思います。

晩年母のお気に入りだった子

 私は母の二番目の子供でした。一人目は私がお腹に命を宿してまもなく事故で他界したので、実質私が一人目の代わりの存在でした。

 母と私は、折り合いの付かない間柄でした。

 そんな事もあり、そして高校を出たタイミングで追い出されたように家を出されて、殆ど会うことのない生活が続きました。

 私が北海道を出るときも、前日会ったかどうか分からないのですが、それから10年近く帰省もせず(正確にはお金が無くて出来なかった)暮らしていました。

北海道を出た時の写真(安かったのでフェリーで移動)

 コロナ前の頃、ようやく飛行機で移動出来る位に稼ぐ事が出来たので久々に帰省をしました。

 それが母が元気だった最後の帰省でした。私は母や兄弟と一緒に、子供の頃通っていた小学校、中学校、高校を訪れたり、近所の公園で鯉に餌をあげたりしました。
 今思うと虫の知らせだったかも知れません。

 翌年母が軽い脳梗塞で入院しました。症状は軽かったのですが、性格が変わってしまい、社交的だったのに人付き合いも全然しなくなったそうです。

 その後新型コロナウイルスの流行で会いに行くことも出来ず、内臓疾患で入院。それから2年経った今年の6月に帰省しましたが、意思の疎通が全く出来なくなり、先月末から脳梗塞が多発して、旅立ってしまいました。


弟のお気に入り

 色々あったり無かったり、人生の大半を共有しない間柄ではありましたが、母は頑張って生きて来たのだと思います。

 最後に亡骸と二人きりになったとき、私は静かに話しかけ涙を流しお別れしました。

 今は遺影を仏壇横の父(元夫)や孫(私の娘)の中に置いてます。

 生前「孫がいない」と嘆いていたけど…あの世で孫や兄と遊んでね。

 母さん、お疲れ様!

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