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兆し(KFK-37)

 結局私は、死ななかった。飛び込みや飛び降りは何故か考えなかった。死について、中途半端な浅い考えだったと思う。

 それから数ヶ月、バイトを探しながら細々と暮らしていた。どうしてもお金が無くて、母に無心もした。

 そんなある日、高校時代の英語の教科担任から連絡があった。自衛隊への入隊の誘いだった。

 先生と会うために帰郷した。実家には『自衛隊の入隊試験受けるかも知れない』と予告した。

 久方ぶりに高校へ行った。英語の先生(以降佐田先生と呼ぶ)と英語教室で話をした。
内容はストレートに自衛隊に入らないかという事だった。

 私は訓練に耐えられるか自信がないと言った。

 そこから佐田先生は、まくしたてるように自分の人生を語りだした。単身アメリカへ三等船室で渡ったこと、異文化の洗礼を受けて辛い思いをした事、そして私を見て可能性がある事を何故試さないんだ、と。

 自衛隊に入るしかないといった論調で私を強引に勧誘した。

 余りに熱心だったので、私は覚悟を決めて受ける事にした。別な日、私は陸上自衛隊の方(二曹だと思う)と合流し、自衛隊の基地へ向かった。

 基地内の簡単な案内と食事体験、そして身体測定をした。

後日、茶色い街にある自衛隊の事務所へ出向いた。

 早速試験が行われた。簡単な筆記試験と試験官である偉い方(尉官の方)との面接をした。

 試験官の方から『テスト結果は優秀だ。身体測定も申し分ない。少し大人しく感じるからイジメとかあるかも知れないけど、多分大丈夫だろう』と言われ合格となった。

 実家で結果を伝えると祝賀ムードとなった。やっと働き先が出来たな、と黒木のおじさんも褒めていた。

 私もやる気になって、意気揚々と札幌の自宅に戻ったのだった。

 


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