”おなじ”湯に浸かる。”おなじ”猫を想う。
小杉湯での『ねこの湯』がおわった。久しぶりのリアルイベントを味わって、疲労と興奮が混ざった読後感がどうにも抜けきらないのが、なんだかイベントの醍醐味の気もするんですよね。
小杉湯という環境を借りることの大きな意味は、定性的な前進にあるように思うんです。
気持ちいいお風呂という絶好の口実が友人を惹き寄せ、ついでに猫を愛でていく。その高まったエンゲージメントが、猫を助ける共犯関係そのものであるということに、意外と誰も気づいていないんです。おもしろい。
「同じ釜の飯を食う」なんていいますが、原体験の共有こそが、居合わせた”みんな”を仲間たらしめ、仲間の結束を柔軟で太いものにしていくわけです。
その視点に立つと、湯と猫という組み合わせは、また絶妙な味わいを生み出しますね。
猫好き同士が、”おなじ”湯に浸かる。銭湯好き同士が、”おなじ”猫を想う。
湯と猫が、人と人との媒介となって、いつの間にか共犯関係に陥れる。慈善に満ちてる必要はなくて、意識だって高くなくていい。
湯が気持ちい。猫がかわいい。その純粋な気持ちを持ち寄ると、もうそこは友達で。猫が助かっていよういまいと関係なくて。だからこそ助かってるほうがいいわけで。
あいまい、ですか?
そのくらい力が抜けてるほうが、湯に浸かるにも猫を愛でるにも、向いている気がします。
マジメなことだからこそ、怖がって肩肘張らずに、自然体。
社会課題解決にドメインを持つ自分の軸はブラさずに、資本主義が胡座を描く世の中のトレンドに乗っていく。善と悪の二元論じゃなく、そのグラデーションのなかに道をつくっていく。柔軟に、強かに。
次回の『ねこの湯』は9/18~24。きてね。
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