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そろり

1980年代、港区高樹町の小さなデザイン事務所で働いていたことがある。
美術大学の先生の個人事務所で、何かが始まりそうな怪しさの同居した、バブル前のザワザワした時代。
70年代終わりは、渋谷にパルコができ、ジャンジャンではユーミンがピアノの弾き語りをしていた。
事務所のある西麻布ではカフェバーブームの火付け役、レッドシューズがオープンしたのっが1981年。
デザイン事務所で働いていたが、絵を書くわけでなく、いわゆる開発提案へのリサーチ、構想、コンセプトを作ったり、提案、申請、プレゼン資料にまとめ上げるという、プロデューサーのような、構成者のような。プレゼンが通ればプロジェクトマネージャーになるような、何でもありの時代の、何でも屋の仕事だった。
しかし、少しは役得があり、企画コンセプトづくり、事業デザイン構想の一環で、当時話題のスペースやまだ有名になっていないデザイナーの手にした店舗やビル、ストリートを見て回ることが自由にできた。
仕事は不規則で、事務所からの移動は都バスの10路線、グリーンシャトルをよく使った。
その車内で、時々、熱心に本を読んでいたり書き物をしている堤 清二がいた。
時代の寵児だった彼は、辻井 喬という名で詩を描き、や小説を書いた。

当時は、すげえ金持ちがなんで都バスに乗っている、としか思わなかったが、自らが年を経てくると、実業と虚業をしなやかに行き来した、かっこいい人だ、と後に思っていた。

何が言いたいか、というと、私の今の「実業」の部分はnoteの助成財団で書いているが、もう一方の部分を「そろり」で記していこうということ。

「そろり」は、西麻布で働いていた時に、よく立ち寄ったうどんを出す和食屋の名。
先程の都バスのバス停が近く、軽く飲めて、落ち着ける