アボリジナルの民にとってのアートの意味
(水木)目に見えないものと対話するのに、オーストラリアのアボリジニは、絵を用います。
絵こそが、霊界と交信する唯一の手段だというんですね。
(京極 )先生はその唯一の手段を用いてる(笑)。
(水木 )永い間、妖怪の絵を描きながら、知らず知らずのうちに霊と対話していたのかもし
れないのです。水木さんは霊が見える、霊を見て描いている、と勘違いしている人もいるようですが、そうじゃない。ほんの僅か、感じて、無心に机に向かっていると、するすると形になるんです。
(京極) 妖怪の方が俺を描いてくれとねだってるんです(笑)。口碑伝承の妖怪どもは、形がない。お化け尽くしや百鬼夜行図などの系譜に与する、いわゆる妖怪画として繰り返し描かれた奴らは残ってますが、伝えられる化け物の多くは統一した形が備わっていない。
先生はそれに形を与えて、妖怪として完成させたわけです。
(水木) さっと描くと、そのまま形になります。考える必要はない。「塗壁」や「一反木綿」や「砂かけ婆」が次々と生まれてくる。
(「対談集 妖怪大講義・京極夏彦著」水木しげる氏との対談よりより抜粋)
=========
オーストラリアの先住民アボリジナルの民が登場!
以前から日本の神話を持つ点や、古事記が口承文学がベースになっていたことなど、アボリジナル文化との共通点を指摘してきましたが、水木しげる先生からアボリジナルのことが飛び出すとなると、ますます「妖怪」というものをアボリジナルはどのように捉えているのか。
今後、極めて行きたいと思いました!
それにしても、絵は交信の手段なのか〜
次回、その観点からアボリジナル・アートを見てみようっと。